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クリスマスの贈り物

騒々しい一年も終わろうとしています。 あと数日残っているので、まだ最後とは言えませんが、 何とか無事に終わりそうです。 マヤの終末予言というのも、幸い空振りに終わりました。 終末というやつは、必ずいつかは来るものだと誰もが知っています。 地球の終末と人類の終末が同じものである必要はなく、 人類は「進歩」という幻想の中で、日々滅亡に向かって歩を進めていると、 誰もが知っています。 浅田次郎の「夕映え天使」という本のなかに、 「特別な一日」という短編があります。 人類の終末を描いた大規模な話が、 すごく個人的な、しみじみとした context の中で淡々と語られていて、 妙に心に残りました。 「生きる」という行為は、 ひとりひとりのなかで、とても個人的なことです。 終わることは、 誰にも平等で、予想がつきません。 「今日が人生最後の日だったら、私は今やろうとしていることをするだろうか?」 アップルの Steve Jobs は、毎日カガミの前で自分に問いかけたと言います。 当たり前で、誰もが知っていることでも、 実に、なかなか私たちは行動にうつしません。 さてさて… 新年を迎えるとき、 我が家では、家族のひとりひとりが、 自分の目標を発表する習わしがあります。 発表した目標は、文字にして、 一年間居間の壁に掲げておきます。 習慣としては悪くないと思っています。 子供達も大人達も、 それを続けることで、だんだんと目標が明確で実現可能なものになってくるものです。 でも、 本当に個人的な生き方の目標は、 なかなか口に出せるものではありません。 クリスマスの朝、 神様は僕にひとつの夢を見させてくれました。 それは、 とても明確なビジョンで、 とても素敵な考えであるように思えました。 もし来年が人生最後の年になるのなら、 やっておきたいと思える夢でした。 個人的に、 心の中に秘めておくことにしましょう。

キラクのポークソテー

知っている人は知っている、 知らない人は知らない。 人形町のB級グルメです。 でもB級と言ってしまうのは恐れ多い。 キラクは、ビーフカツレツが有名です。 亡き先代のご主人が、黙々と仕事をしていた姿。 肉の下ごしらえをして、 粉をつけてパン粉をつけて。 ご主人の姿は、このビーフカツレツにそのまま重なりますが、 その脇でツヤの良い女性が作っていた人気メニューが ポークソテーでした。 しっかりと時間をかけて肉厚の豚ロースを仕上げる姿を、 カウンターのこちら側で見ているのも 僕にとっては前菜というご馳走でした。 今もキラクのポークソテーは健在ですが、 どうしても第一印象は強いものです。 もう10年以上前のことですが、 ある料理雑誌に、 このキラクのポークソテーのレシピが写真入りで載っていました。 以来、 我が家では家族が月に一度は必ず食べる「父の味」になりました。 味付けは極めてシンプル。 1:5の醤油と酒。 酒をこれでもかというくらいたっぷりと使うのが特徴です。 そして後からバターとお好みでおろしニンニクを入れます。 このポークソテーのおいしさは、 肉のうまさだけでなく、 このたっぷりソースの絶妙な味わい。 これをキャベツとシンプルなマカロニサラダにからめて食べる満足感。 すべて含めて、キラクのポークソテーなのです。 たまたま人から平田牧場のうまそうな豚ロース肉を頂いたので、 今日もまた我が家はキラクのポークソテー。 これがまた、格別。 やはり素材の力はすごいものだと、 改めて感心させられました。 子供たちが大人になって、ずっと年月が経って、 父親の味を懐かしく思ってくれることがあるかな。 その頃、 キラクはまだそこにあるのだろうか。

カフェに惹かれる

僕らの世代にとって、 「カフェ」って「喫茶店」のことでしょ。 喫茶店の文化は、あるイメージを持って僕らの中に染みついています。 バーテンのようなマスター、もしくは世捨て人的なマスター。 カウンターとテーブル席がいくつか。 やや暗めの照明。 たばこの煙とヤニの染みついた壁の色。 背中を丸めた浪人生。 Starbucks の登場で、そのイメージはかなり変わりました。 フランス風のCafe や、イタリア風の Bar 。 様々な欧米風の店舗が急速に増えて、 カフェは、たばこを吸って時間を潰す場所ではなくなってきました。 そして、最近。 巷にカフェが増えています。 これは欧米風でもない、 かといって和風でもない。 日本が得意とする和洋折衷文化のようです。 生成りの木目を生かしたインテリアや、 和食器のバラエティ。 てんでばらばらなものを、 ひとつのコンセプトでまとめ上げる感性。 食べ物も、 決して上等かどうかはわからないけれど、 伝統的なものを生かしながら、 自然派で、健康的。 そして、ちょっとオシャレ。 この間、 フードライターのヤマモト女史と 下北沢にあるパンカフェに行ってきました。 古い洋館を改造して、 一階に厨房と売店、二階に客席、 そして外のテラスにも椅子がありました。 静かで、 とてもオシャレ。 箱のようなオフィスに詰め込まれて、 ストレス一杯の仕事に明け暮れている人たちは、 たまに、 こういうところで1時間くらい過ごすことをお薦めします。 現代は、 時間のスピードがどんどん速くなって、 時間に追いかけられ、 自分が何だかわからなくなってくる。 そんな時に、 何の意味もない時間を 文庫本を読んだり、ぼーっとしたりして過ごすこと。 身体が求めているのかもしれません。 そして、 やはりこの文化は女性の視点です。 女性が求めている世界を体現していると思います。 徐々に世の中は女性中心に軸を変えています。 働く中心は男性でも、 時代に変化と新味をもたらしているのは、 間違いなく女性の感性です。 男性は、女性をサポートする役に変わってきている。 僕がカフェに惹かれる気持ちを分析しても仕方ないけど、 そういうことかな、と。

第一声

参政権という、国民にとって最も大切な権利を持ちながら、 政治には本当に興味が薄い人間でした。 子供の頃から、テレビに出ている政治家を見て、 何て脂ぎった、煮ても焼いても食えない面構えだ…とか、 いかにも悪いことやってそう…とか、 やたらと万歳したがる奴らだ…とか、 戦国時代じゃあるまいし、「エイエイオー!」とは何事か…とか、 とにかくイメージが悪かった。 国会中継を見れば、 つまらない質問につまらない答弁。 キツネとタヌキの化かし合い。 汚いヤジの応酬。 ひいては乱闘騒ぎ。 ダイのおとなが何を芝居がかったことやってるんだろうと、 とてもこれが国民のリーダーだとは思えませんでした。 頭のいいやつは官僚になって、 頭は悪いけど腕っ節と度胸のあるやつが政治家になる。 だから、頭の悪い政治家が乱闘を演じている間に、 頭のいい官僚が粛々と国を治めている。 何だか、そんなイメージが身体に焼き付いているようです。 歴代の総理大臣にも、 この人に国の将来を任せてみたいと思える人物には、 残念ながら僕は出会ったことがありませんでした。 そんな中で、野田さんはちょっと違いました。 顔は脂ぎって、決して善人面とはいえませんし、 大衆をグイグイ引っ張ってゆくカリスマでもない。 でも、正直な人、誠実な人だという信頼感は、 これまでの総理大臣にはないものでした。 今日は選挙の公示日。 全員の候補者が、一斉に選挙活動を始める日です。 僕は、阿佐ヶ谷からはるばる船橋まで行って、 野田さんの出陣式を見てきました。 選挙演説に、わざわざ出かけて行くのは生まれて初めてです。 別に民主党を応援しているというわけではない。 彼らのやってきたことは間違いだらけであったとも思います。 でも、 野田さんというリーダーが、今  何を考え、何をしようとしているのか。 歴史の一局面として、とても大切な時だという直感がありました。 残念ながら、集まっていたのは、60過ぎの老人が7割でした。 阿佐ヶ谷の駅に帰ってくると、 駅前では山本太郎というタレントが演説をしていました。 ネクタイに背広という政治家スタイルではなく、 ジーンズにニットセーターというカジュアルな装いで、 「山本に清き一票を!」という古風な台詞ではなく、...

縁側と炬燵と蜜柑

僕の仕事部屋の窓から、ハナミヅキが見える。 我が家の2階屋根まで届く高さ。 庭の樹木は、ゆっくりだが確実に伸びている。 今は葉を落として、すでに来年の春に向けて花芽を膨らませている。 シジュウカラのためにつけた巣箱は、使われないままに風化して、 葉を落とした幹に屍のように引っかかっている。 灰色の空に浮かぶ景色は、 アンドリューワイエスの画のように、美しく、どこか哀しい。 独りでいることは楽しい。 時間と空間を独り占めして、 誰にも邪魔されず、ぼんやりできる。 いくつになっても、失いたくない時間だと思う。 と、ここまで書いたのですが、 ここから話が逆転します。 独りでいて、誰にも邪魔されずに好きな時間を過ごすのは、 そりゃぁ楽しいし、大事にしたいと誰もが思うことでしょう。 人からの束縛を離れて、 面倒くさい人間関係から離れて、 好きに生きたい。 だから核家族化が進みました。 でも、最近思うのです。 回りに老人が増えてきて、景色が変だぞ、と。 老人ホームや介護施設に行ったことがありますか? あの景色は独特です。 老人ばかりがいて、みんな静かに黙っていて。 それぞれの事情を抱えておられることですから、 勝手なことを言うのはいけないことですが、 墓場に住んでいるように見えます。 あの人達は、何を楽しみ、何を目的にして、日々を生きておられるのだろう。 そして、これから 老人はどんどん、どんどん増え続けるのです。 元気な老人に働く機会をというのは賢明な考え方です。 定年を延長して、働けば良い。 賃金は年功序列から離れて低くなっても、 働いて、評価されるだけの賃金を得れば良い。 60歳で引退して30年間遊んで暮らすという考え方自体、 僕はおかしいと思います。 ただ、60歳を過ぎた方に、超満員の通勤を強いるのは過酷です。 今のように核家族社会でなかった頃、 日本の家庭は3世代が一緒に住んでいました。 老人には仕事がありました。 お婆さんは家事・洗濯を手伝い、 お爺さんはご近所との付き合いをしたり、火の用心で回ったり、 落ち葉を掃いたり。 留守番をしたり、赤ちゃんの世話をしたり、 子供に勉強や人生を教えたり。 老人と一緒に暮らすこと、 沢山の人数の中で暮らすことから、 ...

時代の閉塞感を解放するもの

つくづく思う。 糞詰まり、八方塞がり、打つ手無し。 きっと大変な政権運営だろうなぁと思いながらも、 密かに期待し、応援していた野田さんでしたが、 いかにも狭量な自民党の政局論争に為すことも為せず、 ついに解散となりました。 次の選挙は日本の未来を決める選挙だと、 色々な政党が、色々なことを言っています。 脱原発! 反TPP! 反消費税増税! この間、ナベツネさんが「反ポピュリズム論」という本を書いて、 政治の大衆迎合主義を批判していましたが、 本当に政治家たちの主張を聞いていると、 これでいいのかな、と首をかしげてしまいます。 アメリカ大統領選の目玉でもあるテレビ討論について、 あの短時間での大衆の評価が選挙の流れに大きな影響をあたえることについて、 警告する論評がありました。 人物の評価は、そんな短時間の論戦で決めて良いものなのでしょうか、 ということです。 確かに、生き馬の目を抜く政治の場を生き抜いて仕事を成し遂げるためには、 すべての場に勝ち残っていくしぶとい強さが必要なのでしょう。 でも、目の前のひとつひとつの科目の成績表にのみ目を向けて、 C評価の科目を徹底的に叩くことが、 その政治家や政党を育てることにはならないし、 とかく大きな声に聞こえるそうした批判の部分に、 自分の考えを流される大衆も、あまり賢いとは思えません。 伊坂幸太郎の「魔王」という本を読んでいて、 ちょっと怖くなりました。 そこに出て来る犬養という政治家が、 大衆の心をぐいぐい掴んで政治の中心に上ってゆくさまが、 ファシズムと重なるからです。 歴史のなかで、 イタリアやドイツのような歴史を持つ優秀な国家が、 ファシズムに走った時代があるのは、 人間の弱さを見せつけられます。 批判ばかりしながら、 何も決まらず、何も進まず、 足の引っ張り合いばかりに終始しているようにさえ見える政治の世界ですが、 大衆も、さすがに飽き飽きしています。 そろそろ何とかしないと世界に対して恥ずかしいぜ、と思っています。 まさに、 独裁者的なカリスマ性と毒々しいまでの力強さ、逞しさを持った人物が、 人心をさらってゆく素地ができています。 何かが大きく転換しなくてはならないのでしょう。 解散の前後のニュースを見ていて、...

冬の散歩道

実はまだ秋なのである。 でも、冬はちょっと散歩にはつらい。 散歩するなら今の季節がベストだ。 というわけで、井の頭公園まで散歩に行ってきた。 午前中のまだ早い時間だったので、 人も多からず、天気もまぁまぁで、 なかなか気持ちの良い散歩だった。 昨日の雨で湿った落ち葉の香りが立ちこめていた。 落ち葉の香りが大好きだ。 たかが枯れ葉なのだが、 何でこんなに濃密な香りがするのだろう? 枯れ葉の敷き詰められた道を歩くとき、 僕は豚かイノシシのように、クンクンと鼻をきかせる。 目をつぶって、思い切り息を吸い込んでみる。 なんという充実感、 なんという心地よさ。 香りは人をどこか別の世界に連れていってくれる。 東海岸の古い街並。 紅や黄色に彩られた木の葉で一杯の公園。 はたまた、人気のない山道。 コナラの落ち葉とドングリ。 なんだか、わけのわからぬ文章になった。 ポールサイモンの「冬の散歩道」を聴こう。 原題は "A Hazy Shade of Winter" だ。 Time, time, time ... See what's become of me While I looked around for my possibilities I was so hard to please But look around Leaves are brown And the sky is a hazy shade of winter ...... Hang onto your hopes, my friend That's an easy thing to say But if your hopes should pass away, Simply pretend that you can build them again ...... Seasons change with the scenery weaving time in a tapestry Won't you stop and remember me at any convenient time? Funny how my memory skips While looking over m...

松丸本舗

最近、人の名前っぽい店が目立つような気がします。 富澤商店という製菓材料屋さん(というか乾物屋さん)とか、 藤巻百貨店とか。 これは、多分時代の象徴なのだと思うのです。 つまり、 百貨店に代表される「何でも屋さん」に飽きた消費者が、 個のブランドに向かっているわけで、 その集合体のアウトレットモールに人が恐ろしく集まったり、 でもそのうちに、 やっぱり踊らされ、買わされている自分に気づいて、 もっと自分にしかない買い物を求めてゆく。 消費者との接点作りというのは、 本当に繊細です。 モノが中心の消費社会から、 よりクリエイティブな消費者接点を「エディット」する時代になったと感じます。 昔から本屋にいるのが好きなのですが、 このあいだ神保町のすずらん通りを歩いていたら、 「東京堂書店」という改装したての小ぎれいな書店があったので、 ちょっと入ってみました。 「何だかちょっと違う雰囲気…」 別に奇をてらった風でもないのですが、 何気なく置いてある本が、ちょっと変わっているという風な。 上の階まで、ぶらぶらと見ていたら、 あっという間に1時間以上経ってしまいました。 面白い店だなと思ってフロアガイドを見ると、  1階: Foresee "Future" of Mankind 人間の未来を読むフロア  2階: Grasp "Act" of Mankind 人間の活動を掴むフロア  3階: Trace "Mind" of Mankind 人間の思考を辿るフロア と書いてありました。 本の分類が、それまでのジャンル・出版社別というのとは、まったく異なっていて、 「切り口」で分類しています。 書店の上手な演出にすっかり乗せられて、楽しんでいる観客の心境。 そして、昨日。 丸の内の丸善に立ち寄ったら、 その4階に「松丸本舗」なる怪しげな店がありました。 多分、その道では有名な店なのだと思いますが、 不勉強な私は、初めて拝見したわけです。 いやぁ、びっくりしました。 本屋の常識を越えた本屋で、どこに何があるか予想がつかない。 探すことも出来ない。 でも、それぞれの本棚には意外性が溢れていて、 必ず目を引く仕掛けがある。 書店員の手書き...

中国的美味!

酒の話でも政治の話でもありません。 B級なうまい食い物。 阿佐ヶ谷には「七夕祭り」という仙台的な商店街のお祭りがあります。 実になんと言うことのない商店街のお祭りなのですが、 食べ物の奥が深い。 近年口コミで急速に集客を増やした和菓子屋「鉢の木」のかき氷。 紅花色素のイチゴシロップのかわりに本物のイチゴシロップがかかってる。 その日だけの出張販売、謎の燻製屋さんの厚切りベーコン。 これが秀逸。 魚定食屋「おさかな食堂」のマグロメンチ。 ホカホカのメンチにかぶりつく快感。 あっ、「ミート屋」もある。 三ツ矢酒店の前には、 名物の大鍋で作るパエリアパスタと5種類の外国生ビール、 そしてイギリスの生シードル。 テキ屋さんの判で押したような屋台と違って、 それぞれの店が工夫して商品を揃えているのです。 楽しいですよ。 B級グルメは、手が出しやすく、 身近で、安価。 そして一人でも楽しめる。 世の中には凝り性の人が多いから、 facebookなんかを見ていると、すごいですね。 投稿写真はみんな抜群に美味しそう。 丼ものからエスニックまで、 考えているだけで、よだれが出てきますよ、まったく。 子供は手巻き寿司が好きですね。 一人でガツガツ食べる感じのB級グルメと違って、 これは健康的です。 素材がそれなりに左右するから、 必ずしもB級とは言えません。 でもてんでバラバラに好きなモノにがっつく様子は、 まさにB級です。 何だか前置きがすごく長い。 この連休に親戚の家族と総勢14人で北軽井沢の山荘に泊まった時の昼食です。 これはケンタロウのレシピかな、 「北京ダック風手巻き」というのを食べました。 小麦粉を水で溶いただけのシンプルなクレープを、 子供たちが沢山焼いてくれて、 鶏のモモ肉、豚バラ肉のロースト、 ネギの細切り、 もやしのナムル、 大根のなます、 キュウリにキムチ、 大葉にセロリ、 そして忘れちゃいけない甜麺醤。 何でも巻いて食べる、 食べる、 食べる。 確かに北京ダックを思い出す食べ物なのだけど、 どう考えても手巻き寿司感覚。 日中関係も、 こんな風にいけば良いのだけど。 本当にそう思います。

ファミレスの快楽

しばらく前のことになりますが、 とある民放のチャンネルで「ファミレス総選挙」というのをやってました。 きっとご覧になった人が沢山おられるでしょう。 何でもかんでも「総選挙」かぁ...と、ちょっとあきれながらも、 結構楽しく見てしまったんだな、これが。 おなじみのファミレスチェーンの商品開発部の面々が、 鉢巻きたすき掛けみたいな勢いで 結果発表に一喜一憂する姿。 そして見ている僕らも、 「え~? うそだろ~...」 「やっぱりねぇ...だと思った」 「ありえない!!」 「これじゃジョナサンかわいそう!」 ... ... 冷静に構えている普段は、 「もうファミレスは食べ飽きた。」 「結局、冷凍食品ばかりなんだよねぇ...」 と、馬鹿にしているわけですが、 結構みんな食べているし、 それぞれのご贔屓があるんですね。 笑えます。 味はまぁそこそこで、 バラエティーがある。 サイゼリアやガストを選べば ”安い”。 子供は親のたくらみなど知らずに大喜び。 「焼きおにぎり食べたい!」 「いいよ、いいよ」 「サンマの刺身取っていい?」 「どうぞ、どうぞ」 「ドリンクバーも!」 「もちろんどうぞ」 たまに親の面目を保つにはうってつけ。 というわけで、昨晩も行ってきました。 ご近所の「天狗」。 日曜日の夜は、 同様の企みを持った家族連れで一杯です。 かわいそうな我が4人の子供達は、 「天狗」が最高の贅沢と思っております。 「天狗」に行くと聞いて「ばんざーい!」 と叫ぶ子供達の声を聞いていると、 ちょっと罪悪感。 僕って、一応食に携わる者なのだけど。

歳のことは気にすまい

最近、自分の歳のことが妙に気になる。 そして、「歳だな」と感じると、 すごく自信が揺らぐ気がする。 これまでは、多少(?) 頭髪が薄くなろうが、身体のラインが下ぶくれに見えようが、 お腹のまわりがぽっちゃりしようが、 それほど気にしていなかったのに。 老眼を意識した時から、急速に自分の年齢を自覚しはじめました。 それは、ある日突然訪れるものなので、 すごいショック。 中高年の方々は、みんな通る道なのでしょうね。 自分の歳を意識すると、 若い人がとても生き生きとして見えてきます。 ふと気がつけば、実業家も政治家も教育者も、 30代から40代の人材がどんどん出てきています。 「こいつらには追いつけないよな...」と、 いつか追いかける方向が逆向きになっていることに気がつきます。 何だか、自分の体臭や口臭も気になる。 「俺って臭いと思われてないかな?」 「俺の洋服のセンスって、何だかすごく古くさくない?」 これはいけない。 実にウジウジしていて、情けない。 歳をとっていたって、魅力的な人間でありたいし、 少しは女性にだって評価されたい。 リップサービスでなくね。 若かった頃、 一途に夢を追いかけていた自分。 確かにあの時代は良かった。 何の焦燥感もなく、 人は人、自分は自分。 世間で何が流行っていようが、関係ない。 自分が良いと思うライフスタイルを僕は歩むだけ。 そう思っていました。 怖いものなしの自信家ですね。 でも揺らいだ自信は簡単に元に戻らず、 衰えた肉体は、取り戻しようがない。 ここから先を生きていく心構えを、 確立しなくてはならないのです。 死というひとつのゴールを見据えた自分の生き方が、 求められるのでしょう。 「そんなもん、わかるかよ。」 そう。 でも、わからないなかで歩いてゆく。 余計なことは考えても仕方ないから、 とにかく今日を歩む。 自分を励ましながら歩む。 それは、とても深い心境で、しかもチャレンジングであるのだけど、 言葉にしてみれば、 「歳のことは気にすまい...」ということか。 何だかそう言ってしまうと軽いな。

商品と消費者の接点

昨日、「すみだ日本の技と酒めぐり」というイベントに行きました。 地元のTシャツメーカーが企画したイベントなのだそうです。 ユニクロでも会社ロゴをデザインにしたTシャツが沢山売られていますが、 そのようなTシャツを作った蔵元を中心にして、 酒の試飲会と下町らしい地元のお店のお団子や工芸品を紹介するイベントでした。 まぁ、ちょっと見てくるか、と出かけたのですが、 いやはやびっくり。 会場は人で溢れかえっており、 試飲を薦める蔵元にも近づけないほどの人いきれ。 そこそこの賑わいだろうと思っていったイベントに これだけの人が集まるって、すごい。 何なのだろうこれは。 考えてみれば、 このイベントに限らず、 消費者を対象にした様々なイベントには、 やり方次第で簡単に沢山の人が集まるような気がします。 実際、僕が以前かかわったお酒のイベントにも、 予想を遙かに超えた数千人の応募があり、 びっくりした覚えがあります。 一方で、これで大丈夫かというほど閑散としたイベントがあることも確か。 イベント屋さんという人たちは、 消費者の心理を 自在にコントロールできるノウハウを知っているのだろうな。 メーカーは、 常に商品と消費者の接点を求めています。 自分が作ったものを、どこで誰が買って下さっているのか。 どう評価して下さったのか。 自分の考える商品価値が、果たしてどれだけ消費者に伝わり、評価されているのか。 今の売り場でいいのか。 高度成長期には、そんなこと考えなくても良かったのです。 基本的に売れる環境下で、 より良いモノを作っていれば、 必ず良い結果が戻ってきた。 売り手市場だったのですね。 今は違います。 成長が鈍化したうえに、輸入品との競争も起こってきました。 基本的に売りにくい環境下で、 より良いモノを作っていても、 過多な情報の渦の中に飲み込まれて、見えない。 ひとりで大きな声を出していても、 誰も聞いてくれない。 新しい価値と、決して変わらぬ価値。 新旧のどちらか、もしくは両方を兼ね備えた商品であろうとする試みが必要なのですね。 それも手抜きをしてはいけない。 すごい競争社会になるでしょうね。 お酒の世界を見ているだけでも、 ここ数年の変化はめまぐるしいものがあります。...

奇妙な雲

神戸の大震災が起きたとき。 あれは、早朝でした。 テレビをつけてびっくり。 これは大変なことが起きたぞ...と。 あの地震のあと、いくつか天変地異についての記事をみました。 そのひとつが妙に目に焼き付いているのです。 竜巻のように上にのびる雲。 少し赤みがかったような不思議な色あい。 きっと、 地震の起きるときは、大きな磁場の変化があって、 奇妙な自然現象が起きるのだろうと想像していました。 「これは、あり得るぞ」 地震が起きる前触れの手がかりを得ました。 今朝、それを見てしまったのです。 愛犬ロビンと散歩していた早朝、 ふと見上げると 「あっ、ひこうき雲...」 でも、ちょっと違う。 その雲は奇妙にうねりながら、地平線に吸い込まれています。 東の方角でした。 そして北の空にも、 まったく同じような奇妙な雲が、竜巻のようにのびています。 ひこうき雲のようだけど、 これはひこうき雲ではない。 だから、 今日は地震に注意して過ごそうと思います。 それより何より、 はやく涼しくなって欲しい。 これが切実です。

楽しい時間と酒

仕事柄、お酒のことを考えることが多いのです。 自分の愛する日本の酒を、 どうやって普及させることができるのか。 ずっと考え続けるのだろうな。 先週の土曜日、 有名な銀座のイタリアンレストラン、ラ・ベットラでランチをしました。 パートナーは以前来たことがあるようでしたが、 僕は初めて。 予約をとっていない店なので、どうせ一杯だろうなと、 なかば諦めながら行ったのですが、 「外のテラスでよければ」 とラッキーなこと。 猛暑の日差しを直接浴びることもなく、 意外に涼しい風のなかで、 気持ちよく美味しい料理を満喫しました。 昼間からグラスの白ワインを飲んで、 何だか健全で、満ち足りた、 おしゃれで、楽しい、 とても美味しい時間でした。 これを日本酒に求めるのは難しいのかもしれないけれど、 日本酒にしかできない楽しみを、 見つける、 つくりだすことが出来れば... 和食をベースとしたフュージョン料理のなかに、 ヒントがあるかもしれません。 世界の料理は、徐々にボーダーレス化しています。 ヌーヴェルフレンチ、ヌーヴェルイタリアン、ヌーヴェルシノア... ヌーヴェルと付く料理は、すべてさっぱりとした、生食系の色彩を持っています。 これらの料理は、白ワインに相性が良いと思いますが、 相性からいえば、ほとんどの料理が日本酒に間違いなく合います。 ただ、日本酒の方にも歩み寄りが必要かもしれません。 ナチュラルで爽やかな甘さと香り。 ドライな飲み口にも甘さを感じさせる香りが欲しい。 気軽に冷蔵庫に放り込んでおいて、 冷えた酒をきれいなグラスに注いで、 太陽の下で気持ちよく楽しむ。 こんなお酒の楽しみ方が、きっと生まれてくると思います。 トラディショナルな日本酒は貴重です。 頑として寄せ付けない大人の酒。 夏でもお燗でゆるりと楽しむ酒。 「お前も酒の似合う年頃になったらな」 と、 余裕を持って若者に語れる酒。 どちらもあっていい。 大切なのは、 それぞれの飲みてが、 酒とともに「楽しい時」を過ごしているかということ。 「あなたは今、ハッピーですか?」 「ええ、とても」 それが大切にしたいこと。

よよぎ庵

代々木といえば代ゼミ。 野口の古典とか、誰それの数学とか、名物教師がいて、 その授業は教室が満員でした。 勉強に半身で、青春に全力の時代。 楽しい思い出ばかりです。 その代々木にあるお気に入りの居酒屋。 よよぎ庵がひとつあれば、もうそれでいい。 何回行っても飽きないし、 いつも居心地良く時を過ごせます。 これぞ居酒屋の鑑。 冷凍食品中心、見た目中心のメニューに飽き飽きした時、 よよぎ庵の厨房で獅子奮迅の働きを見せる店主の作り出す 季節の野菜や魚を使った まさに手作りの料理の数々は、 ほっとお腹にやさしい。 カウンター席がいいのです。 広めにゆったりと腰掛けて、 カウンターの巾も広い。 ひとりで来ても、 常連のおじさんと話をしたりして、 楽に時間を過ごせます。 代々木の持つ雰囲気は、 都会のひとつの顔です。 おしゃれな部分はあまりないけれど、 ガサガサしたなかに、 古い街が持つ落ち着きがあります。 新宿と原宿・千駄ヶ谷に囲まれた街。 頑張って欲しいですね。

London 2012

ロンドンオリンピックに触れないわけにはいきません。 昨日、銀座で出場選手によるパレードが行われ、 50万人の人が見に行ったという記事を読みました。 50万人という人数が、通常のこのようなイベントの集客と比較してどうなのか、 それはともかくとして、 50万人ですよ。 とにかく、ものすごい人数の人が集まったということです。 東京というクールな都会にしては、すごいことだと思いませんか? いつの年も、 オリンピックの期間中は、 毎日暇があればテレビをつけて、 カウチにごろんと座り込んで見ることが習慣化。 日常になります。 この夏も同じ。 毎日、普通にテレビの日常になりました。 日本が勝っては感動して涙ぐんで、 家族に笑われたり、 負ければ、あーぁ、また韓国に負けた、また中国に負けた... と 大人げないリアクションをしたりして。 韓国のサッカー選手が、竹島のアピールをしたことが問題になっていました。 どうして韓国の人はこんなに大人げないのだろうと、 冷た~い目で見ているのですが、 実は自分のレベルも五十歩百歩だと感じるものがあるのです。 日本人も、多分に感情的で、熱しやすい。 そして自分の国のことしか見えていない。 だから特に感じるのかもしれません。 ロンドンオリンピックの、抑制された運営と、 とても大人で静かなイギリス人の様子は、 実に感じ良かった。 閉会式での大会運営委員長の挨拶のなかで、 「イギリスは、自分の番が来たとき、その役割をきっちりと果たしました。」 と言っていたのを、その通りだなぁとしみじみ感じたのです。 これをアジアの国々で開催したら、 イギリス人が見せたようなホスピタリティを、 アジアの人々は発揮できるのでしょうか。 ここに歴史のなかで育まれてきたものがあるように思います。 どのように他国の人々と付き合い、 自分はどのようであるべきか。 British Gentlemamship とか 騎士道精神のような、 生きる規範が、国として醸成されることが、 何かが起きたとき、 生きてくるものなのだろうと思います。 今年読んだ本のなかで、 カズオイシグロの「日の名残り」が印象に残っています。 そこに描かれた、 抑制のきいた執事という仕事に徹する姿勢を、 奇妙...

北軽井沢のご馳走

群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢というところに小さな山荘があります。 軽井沢といっても、所謂リゾートの軽井沢とはまったく違って、 浅間山麓に広がる静かな開拓村です。 まわりは、キャベツ畑と牧場、そして静かな森。 夜遅くに車でここに来るときは、 途中でキツネやタヌキ、鹿や子連れのイノシシ... 様々な野生動物に遭遇します。 買い物を楽しむ施設もなければ、気のきいたレストランもない。 でも静けさが何よりのご馳走です。 晴れた夜には空一面の星。 へぇ、天の川って本当にあるんだ、って思います。 7月には蛍の飛び交う川のほとりで、夢中に蛍を追いかける。 大きな蛾や、アブに蜂、そして毛虫。 見たことのない虫はちょっと不気味だけど、 でもしばらくすれば、どれが怖くて気をつけなくてはならないかわかってきます。 食べ物が本当に豊かなのです。 自然の恵みが一杯ですから。 春には摘み草。 ふきのとうに始まり、タラの芽や甘草、よもぎの葉で作る草団子の美味しさ。 夏は野菜の大行進。 キャベツにトマト、ズッキーニ、キュウリ、 なすにピーマン、 果物もいっぱい。 秋は木の実の季節。 楽しいリンゴ狩り、 山にわけいって山葡萄狩り、 落葉松の黄色い落ち葉に生えるシモフリというキノコ。 自然に囲まれていると、 豊かさとはお金ではないと、つくづく感じます。 野菜や果物でお腹一杯になる心地よさ。 厳しさの中にも、 思いやりに満ちた人と人の関わり。 水もおいしい! 何も文句をつけるところがありませんな。 移住してしまいたい? そこで考えます。 僕は正真正銘の都会育ちで、 都会を愛して育ってきました。 普段狭くて汚れた空が、 正月とお盆の二回だけキレイに澄み渡る清々しさ。 整備された隅田川沿いを犬を連れて散歩する夜の気持ちよさ、 永代橋の欄干を飾るライトの美しさ。 銀座の飲食店街を覗いて回る楽しさ。 僕にとって、どちらが日常なのだろう。 どちらが特別なご馳走なのだろう。 ご馳走は、毎日食べていると飽きてしまうと言います。 何だか混乱してきます。 人の生活は、かくのごとく曖昧なのですね。 だから美しいと感じるのですね。

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昨日は本当に暑かった。 日なたを歩いていると、まさにジリジリと肌がローストされていくのがわかるよう。 自転車で予備校に通う長男は、行き帰りだけで、何だか真っ黒になったように見えました。 「お日様を呪いたくなる... 」 と、空を見上げると、 何とも爽やかな空が広がっているではありませんか。 年に2回、正月とお盆にだけ広がる、 東京の青い空です。 思わずお日様を許してしまう気持ちになってしまいました。 あーぁ、残暑の日は続きます。 私は写真を撮るという趣味がまったくないので、 我が家では、子供の運動会だろうが、音楽会だろうが、パーティーだろうが、 奥様が全部仕切ってくれます。 昔はこれでも天体写真を撮ったりしてたのに、 いつ頃からか、面倒になってしまいました。 回りに写真好きが多すぎたからかな。 何となくデジタル社会についていけていない自分もいます。 レコードからCDに世の中が変わっていった時、 どうしてもCDの音が薄っぺらく聞こえて、馴染まなかった。 今でも続いています。 ライブで聞くのは楽しいけど、CDで聞くと感動しない。 写真も同じ。 フィルムカメラの写真の方が、何となく深みを感じてしまう。 これは、気持ちの問題なのでしょうかね。 でも、facebookに投稿されている皆さんの写真は、 キレイですね。 みんなすごく写真がお上手。 毎日のように空の写真を投稿されている方が群馬方面におられますが、 きれいですよ、本当に。 これは腕の問題なのか、 それとも技術の進歩で平均値が上がったのか。 まぁ、両方なのでしょう。 若くてアクティブに活動していた頃に比較して、 通常、社会人、特に会社人になると、接する人の範囲が狭くなるものです。 なかなか交友範囲を広げられない。 別世界に住んでいる人たちと交われない。 かといって、毎晩飲み歩くわけにもいかないし。 SNSのすごいところは、 そこなのでしょうね。 何でみんな、あんなに一生懸命毎日情報を発信しているのだろう。 何のために? 僕がブログを書き始めたのも、同じです。 自分のため。 毎日は忙しくて、楽しいけど、 どこか、みんな寂しさを感じているのですね。 今日も頑張ろう。

夏のお燗酒

毎日、本当に暑いですね。 残暑は肉体的にも精神的にもつらい。 もうおしまいだと思うほどきつく感じるものですよね。 ジョギングを日課としていた頃(今はしていないということです)、 10㎞の大会に出場していましたが、 長距離のレースがまさにそれ。 あと2㎞だと思うときついのです。 人間の弱さは守りに入った時に現れるということなのでしょう。 そんな暑い夏にお燗酒? 本当ですよね。 一年中お燗酒派を自認する僕ですら、 さすがに冷や(常温のことです)で頂くこの季節ですから。 ややびっくりしました。 阿佐ヶ谷の小粋な小料理屋さんに行ったら、 すでに3人のお客さんが来ておられて、 それぞれに一杯やっておられたのですが、 全員お燗酒。 今どき珍しい風景だなぁと感心しました。 「今日は、何かお燗酒の人が多いですね。」 と言うと。 「そういえば、この一・二年、夏でもお燗酒を飲む人が増えている気がする。」 「そういえば、そうだね。」 と女将やらお客さんらからの声。 「お燗酒は、飲み過ぎないからねぇ。」と女将さん。 「どうして?」 「やっぱり回りがいいからかな。それに、ちょっとツンとくる感じで、自然にあるところでストップがかかるような気がする。」 若い頃、 お燗酒といえば深酒・悪酔い・二日酔いの代名詞でした。 今日は死ぬまで飲むぞ! と友達と決死の覚悟で居酒屋に入り、 何本もお銚子を倒して、その横で自分も倒れていたイメージ。 女将さんのコメント、面白く感じませんか? 若い頃の、あのお燗酒と、何が変わったのだろう。 僕にはわかります。 飲み方が変わった。 要するに、人と一緒に同じ酒を注ぎつ注がれつという飲み方がなくなったのだと思います。 もちろん宴会の習慣は今でも残っているけれど、 多くの場合、 今の僕らは、人に合わせるよりも、自分の好みを大切にする、 そんな習慣がついています。 「僕はサワー」 「私は芋焼酎」 「私はワインかな」 と、みんなが自分の好きな飲み物をとるのが当たり前になりました。 お燗酒は、注ぎつ注がれつを繰り返していると、際限なく飲んでしまう飲み物かもしれません。 でも、自分で注ぎ、自分のペースで飲んでいると、 自然に「あぁ、もういいか。」という処にたどり着きます。 こ...

欅並木

我が家は杉並区の上の方にあります。 少々育ちすぎたハナミズキとキンモクセイの木が目印。 この家を建てた人は、ひと儲けしようと思ったのか、ちょっと格好いい家を建てたのですが、 売値が高すぎて買い手がつかず、新築のままで16年間放置されていました。 だから、見た目よりは随分と安く手に入れることができたのです。 ただ、家は人が住まないと傷んでくると言います。 育ちすぎた植木もそのひとつ。 生け垣として植えられていた針葉樹は、それぞれ樹木と言えるくらい育っていて、 伐採したり根を掘り返したりするのに、往生しました。 ほんの小さな庭でも、面倒をみるのは大変。 でも、そのささやかなスペースに、涼しい風が吹いています。 自由業の気ままさというわけではないけど、 今日は夏休みということにして、エントランス壁のペンキ塗りをしました。 朝からえっちらおっちらと、暑いなか、汗をかきかきペンキ塗り。 真っ白よりは、ほんの少し青かグレーが入った方がキレイに仕上がるよと、 内装業者の齋藤さんから教えてもらったので、 グレーホワイトという色味で塗ってみました。 キレイに出来たよ。 庭いじりでもペンキ塗りでも、一心不乱にやるのは気持ちがいい。 さて、我が家から自転車で10分くらい走ると阿佐ヶ谷の駅に行けます。 僕はこの阿佐ヶ谷の町が大好きなのです。 古い町だから、決しておしゃれなわけではないし、 気のきいた店が軒を連ねているわけでもない。 でも阿佐ヶ谷の町には、落ち着いた大人の臭いがします。 一流でなくても、美味しい料理屋があるし、 楽しげな飲み屋さんも沢山あります。 夏には七夕祭り、 秋にはジャズストリート。 イベントだって、結構あります。 でも何よりも、僕は、阿佐ヶ谷の並木道が大好きなのです。 中杉通りという名の阿佐ヶ谷駅を南北に貫く通りには、 立派な欅の木が植わっています。 欅と書いて「けやき」と呼びます。普通読めないよね。 欅の木は大きく育ち、大きく手を広げるように育ちます。 中杉通りは、両側の欅が手を伸ばして、 青空トンネルを作っているのです。 暑い夏にも、涼しい木陰をつくり、 木漏れ日を楽しませてくれます。 僕の家は、杉並区の上の方。 下井草と荻窪と阿佐ヶ谷に囲まれたところにあります。 本当は下井草...

For something new!

これまで飲んだことのない新しい酒。 一度飲んだら、くっきりと脳裏に焼き付く味と香り。 そんな酒を僕はつくってみたい。 酒の世界に携わって、いつの間にか24年になります。 様々な酒をみて、人と交わってきました。 初めから好きだったわけではありません。 たまたま祖父が清酒蔵元の息子だったこと、家業が酒問屋だったことから、この世界に入ったものの、酒は弱いし、別にうまいとも思わない。ワインの方が夢があると思っていました。 でも24年経ったいま、酒を心から愛する自分がここにいます。 何が酒の魅力なのだろう。 それは知的な好奇心を越えて、なにやらDNAとも言えるような、自分の中に流れるモノに由来しているように思えます。 何が好きですか?と聞かれて、本当に自信を持って答えられるanswerは、酒。 酒を飲むのが好き。 酒を知ることが好き。 酒と料理を楽しむことが大好き。 酒の作り手と交わることが楽しい。 酒蔵の香りが大好き。 酒蔵を囲む、それぞれの地域の自然や文化に触れることが楽しい。 酒を通じて人の輪が広がることが楽しい。 酒を愛する人たちってみんないい人だと思う。 草木の香り、 米の炊きあがる香り、 水のおいしさ...  こうやってつらつらと考えていると、何が好きというよりは全部好きという気持ちになってきます。 今度、新しい会社を作りました。 楽しい酒の世界を作り出す... 既存の構造のなかに仲良く生きるのではなく、 新しい何かを生み出す会社にしたいと願っています。 新しいなにかのために。 For something new! 僕の美学は、いつもそこにあります。