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知恵を後の世代に伝えるのにお金をとるべきか

欧米に比べて、日本には議論をする習慣が薄いと言われます。 確かにイギリスのパブに行くと、普通の人たちが普通に政治の議論をしたりしています。 ちょっと日本ではありえないかもしれません。 日本人にとっては、人を言い負かすことも気持ちよくないですし、 人に言い負かされるのも気持ちが良くない。 議論をすると、何となく後味が悪くなってしまう。 なんだかそんな傾向があるのでしょうか。 私も議論は苦手です。 でも学ぶことは好きです。 色々な知識を得ることによって世界が広くなり、 より多くの人が話していることが良く理解できるようになります。 知識を得ることによって、 賢い人生、 無駄のない生き方ができるような気がします。 専門分野で、一般教養として、豊富な知識を持っている人の話は 聞いていて面白い。 うらやましいと思います。 折角人間としてこの世に生まれたのだから、 この世で起こっていることは全部理解したい。 そして、そのなかで何が大切なものか、 何が変わらなくてはいけないものなのか、 何がより多くの人々の幸せにつながるものなのかを、 自分の頭で理解できるようになりたい。 そう思います。 私は毎朝散歩をするのですが、 その時に最近は Podcast を聴いています。 そのなかにイギリスで制作された Intelligence Square という番組があります。 毎回様々な分野の学者や知識人がゲストとして招かれて、 その人の専門分野や、最近出版された本について語るのですが、 非常に面白い。 ネイティブの英語なので100%理解できていないと思いますが、 大体どんなことを話しているかはわかります。 今朝は、オックスフォード大学で地理を教える先生が、 現在地球上で起こっている人口問題、環境問題、貧富格差の問題など様々な問題を 地理学者としての視点から語っていました。 先日は古今の経済学者の理論を改めて比較して、今の世の中を考えるという視点の話がありました。 非常に面白い。 日本にも、こんな学びの場が必要だと思います。 現在や未来につながる社会問題は、私たちの生活に密着した問題です。 誰でも地球温暖化と災害の増加に対して危機感を抱いていますし、 COVID-19後の世の中の変化に不安を抱いています。 世...

なぜ緑色の建物はないのだろう

最近の朝の日課として、雨の日を除いて1時間くらいの散歩をしています。 朝は元気なので、気持ちもポジティブ。 天気も良いと本当に気持ちの良い時間です。 私の住む杉並区の北西部に今川という地名があります。 ここに観泉寺という曹洞宗の禅寺があって、なかなか感じが良いのです。 散歩の中間地点として、このお寺に寄るコースがあります。 この観泉寺は、今川家の菩提寺になっています。 今川家と言えば桶狭間の戦いで織田信長に敗れた今川義元。 あれ、今川って静岡ではなかったですか? 桶狭間で敗れてから今川は没落しましたが、家は徳川家康によって庇護され、 子孫が流れ流れて、この杉並の外れに徳川家光から知行地を与えられたそうです。 その頃の杉並なんて相当な田舎だったことでしょうが、 この地域一帯に今川という地名が残っていることや、 この観泉寺の佇まいを見る限り、 さすが落ちぶれても今川は大したものだったのだと思わされます。 丁度、今年のNHK大河ドラマが明智光秀を中心とする戦国時代を描いているので、 今川義元も当然出てきます。 これまでの今川義元像といえば、 白塗りの顔で蹴鞠に興じる、ちょっとキモイ公家のイメージ。 でも今回のドラマでは、かなり知恵者に描かれていると聞きます。 同じ人物でも、見方によって本当にイメージは変わってしまうのをみると、 歴史とは事実ではなく解釈であるというのが、よくわかりますね。 さて、 観泉寺に来ると、私はまず本堂に一礼して、 それから傍らにある池の脇にあるベンチに腰を下ろします。 それほど広大な庭ではありませんが、 整然としてとても美しい日本庭園です。 日本庭園の美しさというものに、実は私はそれほど魅かれておらず、 こんな池や岩や植木がわざとらしく置かれている庭よりは、 広い原っぱの方がずっと心がやすらぐよなどと思っているのですが、 地元だから贔屓目で見ているのでしょうか、 この観泉寺の庭は、何となく心が癒されます。 春もさかりの4月末。 新緑の緑も美しく、 空の青さと木々の緑、そして池に流れ込む水の音が爽やかです。 ふと、ここに建物があるとしたらどんな色の建物が一番素敵かな、と思いました。 寺の色は茶色が基本です。 塗り壁の白と風雨にさらされた深い木目の茶色、そして黒...

座禅と呼吸について

今となっては記憶が定かではないのですが、 中学生か高校生のころ、 夏休みに10日ほど静岡県の禅寺で修行したことがあります。 もちろん自分から「行かせて下さい」などと言うわけはない。 母が友人から自分の息子と一緒にどうですかと誘われたらしく、 面倒くさいけれど、ちょっと興味もあったので、いいですよと言ったら、 結局その息子は逃げて、私がひとりで行くことになりました。 忘れもしない、 三島の山中にある臨済宗妙心寺派の龍澤寺というお寺でした。 1週間だか10日だか、その寺で過ごした日々。 別に何をするでもなく、寺のお坊さんたちと一緒に朝から晩までお勤めをします。 早朝に起きて境内の清掃、 畑仕事、 座禅。 それくらいのことしかした記憶はないのですが、 この禅寺で過ごした時間は、 静かな風と、蝉の声とともに、私のなかに深く生きています。 朝に夕に般若心経を唱え、 質素な精進料理をお坊さんと一緒に静かに食べ、 薪を焚いて沸かしたお風呂にお坊さんと一緒に入り、 暗くなればお堂で静かに寝る。 ひたすらそのような毎日です。 わいわいとおしゃべりをすることもなく、 静かに時間が過ぎてゆきます。 毎日座禅を組んでいましたが、 何の意味があるのか、まったく考えもしなかったし、 特に何も残っていません。 誰も何も教えてはくれませんでした。 それから45年が過ぎました。 友人がフェイスブックに「座禅の勧め」という投稿をしているのを見て、 久し振りに組んでみようかと思いました。 現代は便利な時代になっていて、 座禅も携帯のアプリでダウンロードしてする時代です。 ちゃんと説明までついています。 友人は心の中を空っぽにするのだと言っています。 呼吸法だとも言っていました。 とにかく静かに座り、 できるだけ何も考えないようにして、 ただ息をすることに心を傾ける15分間。 何も考えまいと思っても、 勝手に色々な思いが頭に浮かんできます。 考えないんだよ、とデリートする。 でもそのうちデリートすることも忘れて、 物思いにふける。 この空っぽな時間は、 一種、自分をリセットする気持ちよさがあります。 呼吸は吐く息が大切と聞きます。 しっかりと息を吐ききれば、 自然に空気は入ってくる。 なぜ...

えにし

「縁」という字を書いて「えん」とも「えにし」とも読みます。 何となく、「えん」と言うと軽い感じがしますが、 「えにし」というと、少しおどろおどろしい「因縁」のようなニュアンスを覚えます。 若いころは「邂逅」というものはあまりありません。 当然のことながら、 長く生きてこその「邂逅」ですから。 思いがけないところで、思いがけない人に会う。 もしくは、 思いがけないところで、すっかり忘れていた人の話を聞く。 これを「偶然」と思うのか、 それとも「必然」と思うのか。 「縁」という言葉の持つニュアンスは、 「必然」を意味します。 もう数十年も、一度も思い出したこともない人にばったりと出会う。 最初は本当に本人かもわからないし、 向こうも自分のことを覚えているかもわからないし、 まぁ、気付かないふりをして通り過ぎてしまおうか、と思います。 実際、 たまにまるっきりの勘違いというケースもあるわけで。 「あの、ひょっとして〇〇さんではありませんか?」 と尋ねたら、 「???」という顔をされて赤面のいたり、なんてこともあります。 また縁があれば会うさ、と思える若さならば良いけれど、 還暦という歳ごろになると、 人生もカウントダウン。 もう一度お目にかかる縁なんて、まずあり得ないでしょう。 まぁ、間違いでもいいから一応声を掛けてみよう、と思います。 この間、小学校の時の同級生からフェイスブックのメッセンジャーが届きました。 別に良く遊んだ友人というわけでもありません。 「この間、親しい方のお嬢さんの結婚式で相席だった方が、貴方の幼稚園のお友達のお母さまだとおっしゃっていました。」 とのこと。 確かに、その彼は私の幼稚園時代の仲良しでした。 でも、同じだったのは幼稚園だけで、 小学校から大学までまったく別々で、 連絡を取り合うこともまったくありませんでした。 彼はとても優秀な官僚だったのですが、 若くして事故で亡くなってしまいました。 それだけの接点。 私にメッセンジャーをくれた友人と自分の亡くなった息子が同じ齢だということがわかり、 出身校を聞いて、私のことを思い出して下さったのでしょう。 遠い昔に彼と砂場や園庭で遊んだ記憶や、 彼の笑顔が思い出されて、 何だか泣けてくるような...

巨木に触れる

コロナウイルスなんという これまでの人生では出会ったことのない種類の局面に立ち、 生活の危機感もそれほどないままに、 日常生活を支える生活必需品を除いた経済だけは完全にストップして、 何となく在宅勤務という名の「休暇」を楽しんでいる。 世の中の現状ってこんな実感かもしれません。 もちろん、日々の現金商売がストップして、 明日の暮らしに不安いっぱいの方々もたくさんおられます。 この感覚が当然の感覚なのだと思いますが、 何故か勤め人は能天気です。 まさに休暇を楽しんでいるというのが相応しい。 「在宅でストレス溜まりますよ~」とか言いながら、 心は沈んでおらず、 今夜はどこのお店のテイクアウト食べようか、などと思いを巡らせています。 でも経済停滞のツケは、必ず巡ってきます。 利益のないコスト流出によって企業経営は苦しくなり、 給与が下がるケースもでるでしょう。 雇用水準は下がるでしょう。 新卒採用は1年分ずれてくるかもしれない。 一挙にマイナスの要因と話題が沸き上がる可能性が高いと思います。 在宅勤務者にとって、今は何もできない時かもしれませんが、 能天気はやめましょう。 賢くありましょう。 考えましょう。 今は自分たちの未来について考えるべき時であると私は思います。 考えて、そして今自分になにをすることができるのか、 それを認識し、 一歩ずつ歩を進めてゆくべき時にしなくてはなりません。 人類の叡智が問われる時です。 日本人の叡智が問われる時です。 ジジイ臭いとは思うのですが、 毎朝1時間の散歩をします。 幸いなことに、杉並のこのあたりは、 密になることもなく歩けるところがたくさんあります。 天気の良い日は本当に気持ちがいい。 お気に入りの Podcast を聴きながら、 腕を振って歩きます。 何も考えないというのは素敵なことで、 ふっと空を見上げると、 美しい雲と青空。 木々の緑は淡く、 ハナミヅキの花がきれいに咲いています。 小さな町の公園に入って、ベンチに腰を下ろしました。 ふと足元を見ると、 アリの巣があって、たくさんのアリたちが出入りしています。 子供の頃って、飽きずにアリの巣を見たものでした。 小さな巣から出たり入ったり、 とにかく止まることなく動き続...

教皇フランシスコの復活祭メッセージ

コロナ禍のただなかで行われた今年の復活祭。 人気のないひっそりとしたバチカンで、教皇フランシスコがミサを行いました。 このアルゼンチン出身の教皇に私は親しみを覚えます。 自分の知るこれまでの教皇に比べて、教皇フランシスコは暖かい、人間味の溢れた方に思えます。 最近は本当に世の中が便利になって、バチカンのミサをオンタイムに英訳付きで見ることができるのです。 こんな時なので、教皇のメッセージはパンデミックに関するものでしたが、とても心を打たれるメッセージでした。 世界の国々のリーダーではなく、国を超えた立場にいる人だからこそ発することのできるメッセージ。 今だからこそ「無関心」「利己主義」「分裂」「忘却」から抜け出そう。 以下。 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、復活祭おめでとうございます。 今日、全世界に教会の告げ知らせる声が響きます。「イエス・キリストは復活されました!」「真に復活されました!」 この善き知らせは、新しい炎のように、夜に灯されました。その夜は、今日すでにある様々な挑戦に加え、私たち、人類と言う大きな家族を試練に立たせる、パンデミックの脅威にあえぐ世界の夜です。この夜、協会の声が再び響きました。「私の希望、キリストは復活されました!」 それは心から心へと伝わってゆきます。なぜならあらゆる人の心は、この善き知らせを待ち望んでいるからです。それは希望の広がりです。「私の希望、キリストは復活されました!」 それはすぐ問題を消し去るような、魔法の言葉ではありません。キリストの復活は、そのようなものではありません。それは、悪の根源に対する愛の勝利、苦しみや死を「飛び越える」ことなく、深淵の中に道を開き、悪を善に変えながら、それを通過するものです。神の力だけがそれをなしうるのです。 復活の主は、十字架につけられた方です。その栄光ある体は消し難い傷を持っています。その傷は希望を通す場所となりました。復活の主にまなざしを上げましょう。苦しむ人類の傷をいやして下さるようにと。 今日、私の思いは、特に新型コロナウイルスによって直接の被害を受けた人々、患者の方々、亡くなられた方々、家族を失い悲しむ遺族の方々に向かいます。その中には、亡くなられた家族に最後の別れも出来なかった人々もいます。いのちの主が亡くなった方々を御国でご自身に引き寄せ、お...