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クリスマスの贈り物

騒々しい一年も終わろうとしています。 あと数日残っているので、まだ最後とは言えませんが、 何とか無事に終わりそうです。 マヤの終末予言というのも、幸い空振りに終わりました。 終末というやつは、必ずいつかは来るものだと誰もが知っています。 地球の終末と人類の終末が同じものである必要はなく、 人類は「進歩」という幻想の中で、日々滅亡に向かって歩を進めていると、 誰もが知っています。 浅田次郎の「夕映え天使」という本のなかに、 「特別な一日」という短編があります。 人類の終末を描いた大規模な話が、 すごく個人的な、しみじみとした context の中で淡々と語られていて、 妙に心に残りました。 「生きる」という行為は、 ひとりひとりのなかで、とても個人的なことです。 終わることは、 誰にも平等で、予想がつきません。 「今日が人生最後の日だったら、私は今やろうとしていることをするだろうか?」 アップルの Steve Jobs は、毎日カガミの前で自分に問いかけたと言います。 当たり前で、誰もが知っていることでも、 実に、なかなか私たちは行動にうつしません。 さてさて… 新年を迎えるとき、 我が家では、家族のひとりひとりが、 自分の目標を発表する習わしがあります。 発表した目標は、文字にして、 一年間居間の壁に掲げておきます。 習慣としては悪くないと思っています。 子供達も大人達も、 それを続けることで、だんだんと目標が明確で実現可能なものになってくるものです。 でも、 本当に個人的な生き方の目標は、 なかなか口に出せるものではありません。 クリスマスの朝、 神様は僕にひとつの夢を見させてくれました。 それは、 とても明確なビジョンで、 とても素敵な考えであるように思えました。 もし来年が人生最後の年になるのなら、 やっておきたいと思える夢でした。 個人的に、 心の中に秘めておくことにしましょう。

キラクのポークソテー

知っている人は知っている、 知らない人は知らない。 人形町のB級グルメです。 でもB級と言ってしまうのは恐れ多い。 キラクは、ビーフカツレツが有名です。 亡き先代のご主人が、黙々と仕事をしていた姿。 肉の下ごしらえをして、 粉をつけてパン粉をつけて。 ご主人の姿は、このビーフカツレツにそのまま重なりますが、 その脇でツヤの良い女性が作っていた人気メニューが ポークソテーでした。 しっかりと時間をかけて肉厚の豚ロースを仕上げる姿を、 カウンターのこちら側で見ているのも 僕にとっては前菜というご馳走でした。 今もキラクのポークソテーは健在ですが、 どうしても第一印象は強いものです。 もう10年以上前のことですが、 ある料理雑誌に、 このキラクのポークソテーのレシピが写真入りで載っていました。 以来、 我が家では家族が月に一度は必ず食べる「父の味」になりました。 味付けは極めてシンプル。 1:5の醤油と酒。 酒をこれでもかというくらいたっぷりと使うのが特徴です。 そして後からバターとお好みでおろしニンニクを入れます。 このポークソテーのおいしさは、 肉のうまさだけでなく、 このたっぷりソースの絶妙な味わい。 これをキャベツとシンプルなマカロニサラダにからめて食べる満足感。 すべて含めて、キラクのポークソテーなのです。 たまたま人から平田牧場のうまそうな豚ロース肉を頂いたので、 今日もまた我が家はキラクのポークソテー。 これがまた、格別。 やはり素材の力はすごいものだと、 改めて感心させられました。 子供たちが大人になって、ずっと年月が経って、 父親の味を懐かしく思ってくれることがあるかな。 その頃、 キラクはまだそこにあるのだろうか。

カフェに惹かれる

僕らの世代にとって、 「カフェ」って「喫茶店」のことでしょ。 喫茶店の文化は、あるイメージを持って僕らの中に染みついています。 バーテンのようなマスター、もしくは世捨て人的なマスター。 カウンターとテーブル席がいくつか。 やや暗めの照明。 たばこの煙とヤニの染みついた壁の色。 背中を丸めた浪人生。 Starbucks の登場で、そのイメージはかなり変わりました。 フランス風のCafe や、イタリア風の Bar 。 様々な欧米風の店舗が急速に増えて、 カフェは、たばこを吸って時間を潰す場所ではなくなってきました。 そして、最近。 巷にカフェが増えています。 これは欧米風でもない、 かといって和風でもない。 日本が得意とする和洋折衷文化のようです。 生成りの木目を生かしたインテリアや、 和食器のバラエティ。 てんでばらばらなものを、 ひとつのコンセプトでまとめ上げる感性。 食べ物も、 決して上等かどうかはわからないけれど、 伝統的なものを生かしながら、 自然派で、健康的。 そして、ちょっとオシャレ。 この間、 フードライターのヤマモト女史と 下北沢にあるパンカフェに行ってきました。 古い洋館を改造して、 一階に厨房と売店、二階に客席、 そして外のテラスにも椅子がありました。 静かで、 とてもオシャレ。 箱のようなオフィスに詰め込まれて、 ストレス一杯の仕事に明け暮れている人たちは、 たまに、 こういうところで1時間くらい過ごすことをお薦めします。 現代は、 時間のスピードがどんどん速くなって、 時間に追いかけられ、 自分が何だかわからなくなってくる。 そんな時に、 何の意味もない時間を 文庫本を読んだり、ぼーっとしたりして過ごすこと。 身体が求めているのかもしれません。 そして、 やはりこの文化は女性の視点です。 女性が求めている世界を体現していると思います。 徐々に世の中は女性中心に軸を変えています。 働く中心は男性でも、 時代に変化と新味をもたらしているのは、 間違いなく女性の感性です。 男性は、女性をサポートする役に変わってきている。 僕がカフェに惹かれる気持ちを分析しても仕方ないけど、 そういうことかな、と。

第一声

参政権という、国民にとって最も大切な権利を持ちながら、 政治には本当に興味が薄い人間でした。 子供の頃から、テレビに出ている政治家を見て、 何て脂ぎった、煮ても焼いても食えない面構えだ…とか、 いかにも悪いことやってそう…とか、 やたらと万歳したがる奴らだ…とか、 戦国時代じゃあるまいし、「エイエイオー!」とは何事か…とか、 とにかくイメージが悪かった。 国会中継を見れば、 つまらない質問につまらない答弁。 キツネとタヌキの化かし合い。 汚いヤジの応酬。 ひいては乱闘騒ぎ。 ダイのおとなが何を芝居がかったことやってるんだろうと、 とてもこれが国民のリーダーだとは思えませんでした。 頭のいいやつは官僚になって、 頭は悪いけど腕っ節と度胸のあるやつが政治家になる。 だから、頭の悪い政治家が乱闘を演じている間に、 頭のいい官僚が粛々と国を治めている。 何だか、そんなイメージが身体に焼き付いているようです。 歴代の総理大臣にも、 この人に国の将来を任せてみたいと思える人物には、 残念ながら僕は出会ったことがありませんでした。 そんな中で、野田さんはちょっと違いました。 顔は脂ぎって、決して善人面とはいえませんし、 大衆をグイグイ引っ張ってゆくカリスマでもない。 でも、正直な人、誠実な人だという信頼感は、 これまでの総理大臣にはないものでした。 今日は選挙の公示日。 全員の候補者が、一斉に選挙活動を始める日です。 僕は、阿佐ヶ谷からはるばる船橋まで行って、 野田さんの出陣式を見てきました。 選挙演説に、わざわざ出かけて行くのは生まれて初めてです。 別に民主党を応援しているというわけではない。 彼らのやってきたことは間違いだらけであったとも思います。 でも、 野田さんというリーダーが、今  何を考え、何をしようとしているのか。 歴史の一局面として、とても大切な時だという直感がありました。 残念ながら、集まっていたのは、60過ぎの老人が7割でした。 阿佐ヶ谷の駅に帰ってくると、 駅前では山本太郎というタレントが演説をしていました。 ネクタイに背広という政治家スタイルではなく、 ジーンズにニットセーターというカジュアルな装いで、 「山本に清き一票を!」という古風な台詞ではなく、...