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ジャコメッティ

アルベルト・ジャコメッティ。 1901年10月10日(昔の体育の日)スイス生まれの彫刻家。 針金のように極端に引き延ばした細長いフォルムの人物彫刻が有名。 娘が個人教授で通っている英語の先生が、時々新国立美術館のチケットを下さるので、 有難く心の洗濯をしに行ってきました。 ジャコメッティの名前も、その独特な彫刻も、もちろん知っていましたが、 個展にでかけるのは初めてのことです。 まず、彫刻の展覧会に行くことが珍しいのです。 面白かったですね。 というか、とても魅力的でした。 ジャコメッティという人物の人生、生活すべてを含めて、 彼の芸術の魅力にすっかり魅了されました。 アトリエで絵を描く彼の写真、 粘土で彫刻の形を創造する彼の写真、 パリの街を歩く姿。 もじゃもじゃヘアーにツイードのジャケットを羽織ったいで立ちは、 何となくキース・リチャードを思わせる、 アウトロー感満載です。 ジャコメッティの作品の話にたどりつくのが大変。 説明文やコメント、写真や映像が素晴らしかったのです。 学芸員が優秀なのかな。 哲学者の矢内原伊作との親交のくだりは、 ジャコメッティの人柄や制作を知るのに、良い挿話でした。 矢内原はジャコメッティのモデルをよくつとめたそうです。 その際に、矢内原がちょっとでも動いてしまうと、 ジャコメッティはこの世の終わりかというようなうめき声を上げたそうです。 それほど真剣で、一瞬にすべてを注いでいたのでしょう。 キース・リチャードのような雰囲気は、 刃の上を歩いているような、あやうい美しさの顕現かもしれません。 ジャコメッティの作品は、とても特徴的な細長くて無機質な雰囲気を持っています。 でも、彼の作品群に囲まれていると、 表情のない彼の作品の人物たちは、決して人間の匂いを失っていません。 むしろ非常に人間的で、内面的です。 特に、眼窩が浮き彫りになったような眼の表情は、 精魂込めて描いた彼の精神が詰まっているような、 そんな迫力に満ちています。 本気な芸術、とでも言うのでしょうか。 細長さもジャコメッティの特徴なのですが、 それも、そぎ落とした末の細長さに見えます。 ですから、ガリガリの細身であっても、 身体は立体感を失っていません。 抽象的でも実体感に満ちて...

モンスター

私の長女は ARASHI の大ファンで、 部屋のベッド脇の壁には、大きな桜井君のポスターが貼ってあります。 彼女がモンスターと聞いたら、きっとARASHIの歌だと思うに違いありません。 ピンクレディーのモンスターもありましたね。 私はあまりピンクレディーのフリークではなかったので、それほど興味はなかったな。 なんて、なんだかしばらく前に書いた「Janis」のお話と似たような始まりになってしまいました。 そんな話をしたかったわけではないのです。 百田尚樹の「モンスター」という小説を読んだのです。 百田尚樹は、「永遠の0」という零戦乗りの話を読んでhすごく感動して以来、 なんとなく好きな作家のひとりです。 語りの口うまい小説家だなと思います。 「モンスター」は、そのような呼ばれ方をするくらい醜い顔に生まれついた女性が、 整形を繰り返して絶世の美女に生まれ変わる話です。 話としては、 面白いというよりは、少し読むのがつらいという気持ちにさせられる話でした。 そして最後まで救いのない話でした。 結局男は顔で女性を選ぶのか。 口では「心が大切だ」などと言いながら、 美しい女性が現れれば、大切なものを捨てても手に入れようとする。 男って、そんな性から逃れようがないのか。 それは、 自分の心を覗いたときに、決して否定することができない気持ちなのです。 顔で人の価値を評価するなんて、 そんなの理不尽でバカのすることだと、もちろんわかっていても、 いざ自分のことになったら、顔はやっぱり大事だよねと言い訳をする。 そんな自分の心の矛盾をつかれるから、つらいのですよね。 この課題には収束すべき解答がありません。 人間の罪みたいなものです。 醜く生まれた人も、 それを捉える人も、 どちらもが自分のなかで折り合いをつけるしかない。 でも、それにしても、 このお話に出てくるような、 本当に醜い顔の人を前にして、 自分は、心の折り合いをつけることができるのでしょうか。 たぶん、できないように思います。 だから罪なのです。 この小説の厳しいところは、 醜いものに対する残酷な心と、 美しいものに対する利己な心の両方を徹底的に炙りだしているところです。 あ~、つらいつらい。