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「偉くなりたい」高校生9%

朝日新聞の記事です。 (財)日本青少年研究所が公表した調査結果とのこと。 日本・アメリカ・中国・韓国の高校生約6600人にアンケートしたところ、 「偉くなりたいと思うか?」という質問に 「強く思う」と答えたのは、 アメリカ30%、中国37%、韓国19%、日本9%。 「まぁそう思う」を含めても、 日本では46%にとどまり、 否定的な回答が54%にのぼったとのこと。 ちなみに、他国の否定的な回答は、 アメリカ17%、中国9%、韓国27%ということですから、 日本の高校生の上昇志向の低さは、 まさに際立っていると言えます。 なんで「偉くなりたい」と思わないのでしょうか。 偉くなると、 「責任が重くなる」という回答が70%ということですから、 面倒くさいというニュアンスが感じられます。 上昇することで、 「世界が広くなる」 「自分の能力を精一杯発揮できる」 「豊かになる」 というような、 前向きのイメージを持っている人が少ないのです。 寂しいことですよね。 勉強すること、 いい大学に行くこと、 いい会社に就職すること、 目先の目標にばかり目が行くことで、 その先の本当の目標が見えなくなっているのでしょうか。 「だから何?」 という、 少し投げやりな将来感。 それよりも、目先の人間関係や 今の自分に目が行っているように感じます。 まさに高度成長を終えた日本が、 次の時代に繋げてゆくための、 過渡期なのだと思います。 日本の国が、 次に進む方向性を、 国民が共有できる。 そんな責任を大人は背負っているのだと、 そう思います。 だから私たちは、 まだまだ走り続けて、輝いていなくてはなりません。

ネガティブ : ナッシング

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2月末だったと思う。 朝日新聞に目についたニュースがありました。 すげがさのスイス人 「日本安全」 徒歩の旅 日本を大好きなスイス人が、 大地震と原発事故の後、 落ち込んだ海外からの旅行需要を取り戻そうと、 北海道の宗谷岬から 鹿児島の佐多岬まで、 2,900㎞を徒歩で歩いた。 その彼の道行きをドキュメンタリー映画にしたという記事でした。 何だか、「日本頑張れ」のボランティア活動とも違う、 でも、なんで歩かなくちゃいけないの? いまひとつピンとこない発想でした。正直なところ。 そこで、 ドイツ文化センターの上映会を見に行きました。 negative:nothing って何だろう? これは、 彼が旅の毎日を綴ったブログに、 良かったこと(positive)、悪かったこと(negative)をリストアップしたというところに味噌があります。 良かったことは、毎日色々あるけど、 悪かったことは、今日も何もなかった。 出会う人はみんな親切だった、 みんな人なつっこくて、 楽しい人たちだった。 それを、一言で表した表現です。 この一言がキーになったことで、 彼のチャレンジは、全然別の意味を持って 日本人の心に訴えてきます。 私たちが、まったく見過ごしていた日本、 まったく気付かなかった日本の美しさ、 日本人の心の豊かさ。 人なつっこさ。 それに気付くのと同時に、 自分も彼の旅を心から応援する気持ちになりました。 多分、この映画を見たほとんどの日本人が、 同じ気持ちを共有したことだと思います。 行為が、あまりにシンプルであること。 そして、彼の人物像が、 あまりに純粋で素朴であること。 そのことが、 この映画に何とも言えぬ風を吹かせています。 風は涼しげで、気持ち良い。 良い映画でした。

古書店とカフェ

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現代若者の嗜好を象徴する言葉なのかな。 僕にはそんな響きがある言葉です。 やみくもに経済的な成長に突き進んでいた時代へのアンチテーゼ? いや、そんな反抗的な態度ではなく、 もっと静かに、 「まぁ、落ち着いてゆっくりしようよ。」という声が 聞こえてくるようです。 古書店とカフェ。 ふたつから連想されるのは、 個人店 伝統文化 木目の質感 スロー 知性・感性 質素 馴染み なかに見え隠れする嗜好は、 都会的で知的なものと、 自分の世界を共有したいという、 仲間を欲する願望。 少し寂しがり屋のキャラが見えます。 僕はそれほどこの世界に強いわけではありませんが、 三浦しをんの「月魚」という本を読んで、 強い印象を受けました。 「月魚」は古書店の話。 とても繊細な男の子たちの話です。 「ビブリア古書堂」の剛力彩芽さんも、 静かで清楚で知的。 古い古書店を預かる若者の姿が、 何だか素敵に見えるのですね。 昔だったらあり得ない感覚です。 古書店なんてヒマで儲からない。 Bookoff ができたらおしまい、と 誰もが思っていたし、 店番をしているのは、 決まって難しそうなお年寄りでした。 今は違う。 阿佐ヶ谷の近辺にも、 いつの間にか若者が店番する古書店ができています。 西荻に行ったら、もっと沢山あります。 古書店にしてもカフェにしても、 経済性を云々したら、 それほど儲かる商売ではないでしょう。 価値は「儲かる」ということではなくなってきたのですね。 さて、この流れを 次の世代にどのようにバトンタッチするのだろう。

一病息災とは言うけれど

妙に脇腹が痛む。 こんな痛みって、あまり感じたことないな、 なんて思いながら、 まぁいいか、と いつものように日を過ごしていました。 でも、どうも痛い。 食い過ぎとは、ちと違う様子。 痛みも見過ごせぬレベルになってきました。 仕方がない。 病院へ行くか。 重い腰を上げて、近くの町医者に行ってみました。 「ちょっと脇腹が痛くて。」 「じゃ、おしっこを取ってきて下さい。」 「あらあら、血尿が出てるじゃないですか。」 「結石だね。多分間違いないと思うよ。」 「紹介状書いてあげるから、大きな病院の泌尿器科に行っておいで。」 それから、苦しい日々が始まりました。 いつ出てくるかもわからぬ「石」を、 なだめながら、出ておいで、出ておいでと誘うような。 でも石は見えないし、 痛みは容赦なく襲ってきます。 いつ来るかもわかりません。 すっかり身体のバランスが壊れてしまって、 消化器がストライキ。 便秘でお腹がパンパンになって、 食欲もないし、腹痛も起こります。 何だかお腹じゅうが痛くて、何が何だかわからない。 どの痛みが何の痛みなの? イライラ… 人間の精神なんていうものは、 かくも脆弱なものなのですね。 元気な時は、明るくて優しくて爽やかな僕も、 元気がなくなれば、このとおり。 すっかり弱気になってしまう。 いやぁ、持病を抱えていますが、 お陰さまで一病息災というか、 かえって身体を大事にして、元気にしていますよ。 なんて台詞、 いつになったら吐けるのだろう。 やはり元気な人でないと、 かっこいい台詞は吐けないのですね。 早く元気になりたい。

才能

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高校の友人がロンドンでプロの作曲家・ミュージシャンをやっています。 数年前にそれを聞いた時、びっくりしました。 彼女は精神科の医師をやっていたからです。 医師という立派な肩書きをさっぱりと棄てて、 独りイギリスに渡り、 不安はなかったのだろうか。 すごい度胸だと感心するしかありません。 もともと独特の個性を持った友人でした。 ナイーブな心と、 矢野顕子のように奔放な音楽性。 表現することが根っから好きな素面さ。 考えてみたら、 高校生の時に、作曲コンクールに入賞したりしていました。 でも、まさかプロになるとは思ってもみなかった。 真面目で音楽が大好きだったのだな、と 今ふりかえると、そう思えます。 才能の芽は、なかなか見えない。 驚くようなところに眠っていることもあります。 自分に関係のないことに、 人は無関心で無慈悲なもの。 心ない言葉で、 人の心を傷つけたり、自信を削いでしまったり、 知らず知らずにそんなことをしてこなかったかな。 突拍子も無い夢を語る若者を、 頭から馬鹿にして扱ってこなかったかな。 「イギリスの生活はどう?」と聞いたら、 「貧乏であることが恥ずかしくないから楽ね。」 と答えていました。 生きがいとは、豊かであることとは別なところにある。 当たり前のことだけど、 それを実際に生きているのは とても素敵です。 自分は何の力になってあげられるわけでもないけれど、 心のなかで応援してあげていたいと、 そう思っています。

梅の香り

花の香りといえば金木犀でしょう。 秋のある日、 道を歩いていると、 明らかにいつもと違う香りが漂ってくる。 あぁ、今年も金木犀が咲いたな、と 少し優しい気持ちになります。 歳をとると、 徐々に鼻が利かなくなってきますが、 それでも香りの印象は強いものがあります。 花の香りなんて普段はまったく気にしていませんが、 ある時、 ふと漂ってきた花の香りに気付いて、 びっくりしてあたりを見回すことがあります。 そんな第六感に触れるような感覚は、 大抵正しいことが多く、 そこには何かの花があります。 今朝もそうでした。 早朝に愛犬ロビンと散歩していて、 変なところにおしっこをしないよう 下ばかり向いて歩いていたのですが、 ふっと漂ってきた香り。 ほのかに甘酸っぱい香り。 「えっ、」と思って見回してみたら、 蓮花寺の壁の向こうに 美しい紅白の梅が咲いていました。 春を告げる花は、 いつの間にか咲くものです。 葉を落とした枯れ木のような木々のなかで、 明るい色彩は絵のようです。 四季の移り変わりを感じる時、 私は何となく優しい気持ちになって、 じっと何ヶ月も静かに佇んでいた木々に ちょっと感謝したりします。 改めて木々を見れば、 庭のハナミヅキの花芽もだいぶ膨らんできました。 大好きなカイドウの花が咲くのももう少しかな。 ややお爺さんくさい日記になってしまいました。