London 2012

ロンドンオリンピックに触れないわけにはいきません。

昨日、銀座で出場選手によるパレードが行われ、
50万人の人が見に行ったという記事を読みました。
50万人という人数が、通常のこのようなイベントの集客と比較してどうなのか、
それはともかくとして、
50万人ですよ。
とにかく、ものすごい人数の人が集まったということです。
東京というクールな都会にしては、すごいことだと思いませんか?

いつの年も、
オリンピックの期間中は、
毎日暇があればテレビをつけて、
カウチにごろんと座り込んで見ることが習慣化。
日常になります。
この夏も同じ。
毎日、普通にテレビの日常になりました。

日本が勝っては感動して涙ぐんで、
家族に笑われたり、
負ければ、あーぁ、また韓国に負けた、また中国に負けた... と
大人げないリアクションをしたりして。

韓国のサッカー選手が、竹島のアピールをしたことが問題になっていました。
どうして韓国の人はこんなに大人げないのだろうと、
冷た~い目で見ているのですが、
実は自分のレベルも五十歩百歩だと感じるものがあるのです。
日本人も、多分に感情的で、熱しやすい。
そして自分の国のことしか見えていない。

だから特に感じるのかもしれません。
ロンドンオリンピックの、抑制された運営と、
とても大人で静かなイギリス人の様子は、
実に感じ良かった。
閉会式での大会運営委員長の挨拶のなかで、
「イギリスは、自分の番が来たとき、その役割をきっちりと果たしました。」
と言っていたのを、その通りだなぁとしみじみ感じたのです。
これをアジアの国々で開催したら、
イギリス人が見せたようなホスピタリティを、
アジアの人々は発揮できるのでしょうか。

ここに歴史のなかで育まれてきたものがあるように思います。
どのように他国の人々と付き合い、
自分はどのようであるべきか。
British Gentlemamship とか
騎士道精神のような、
生きる規範が、国として醸成されることが、
何かが起きたとき、
生きてくるものなのだろうと思います。

今年読んだ本のなかで、
カズオイシグロの「日の名残り」が印象に残っています。
そこに描かれた、
抑制のきいた執事という仕事に徹する姿勢を、
奇妙な感覚と感じる反面、
その仕事に誇りを持ち、
最後までそれを貫く強さに、
今の日本に生きる人間として驚きすら感じました。
そして、
そんな抑制のきいた「鉄面皮」が、
一人の言葉によって涙を流す。
だから、人間は哀しく美しいのです。

ロンドンオリンピックが僕の中に残してくれたのは、
なでしこや卓球の活躍と爽やかな笑顔だけでなく、
静かに町を包んでいた
ホスピタリティの美しさでした。

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