夏のお燗酒

毎日、本当に暑いですね。
残暑は肉体的にも精神的にもつらい。
もうおしまいだと思うほどきつく感じるものですよね。
ジョギングを日課としていた頃(今はしていないということです)、
10㎞の大会に出場していましたが、
長距離のレースがまさにそれ。
あと2㎞だと思うときついのです。
人間の弱さは守りに入った時に現れるということなのでしょう。

そんな暑い夏にお燗酒?
本当ですよね。
一年中お燗酒派を自認する僕ですら、
さすがに冷や(常温のことです)で頂くこの季節ですから。
ややびっくりしました。
阿佐ヶ谷の小粋な小料理屋さんに行ったら、
すでに3人のお客さんが来ておられて、
それぞれに一杯やっておられたのですが、
全員お燗酒。
今どき珍しい風景だなぁと感心しました。

「今日は、何かお燗酒の人が多いですね。」
と言うと。
「そういえば、この一・二年、夏でもお燗酒を飲む人が増えている気がする。」
「そういえば、そうだね。」
と女将やらお客さんらからの声。

「お燗酒は、飲み過ぎないからねぇ。」と女将さん。
「どうして?」
「やっぱり回りがいいからかな。それに、ちょっとツンとくる感じで、自然にあるところでストップがかかるような気がする。」

若い頃、
お燗酒といえば深酒・悪酔い・二日酔いの代名詞でした。
今日は死ぬまで飲むぞ!
と友達と決死の覚悟で居酒屋に入り、
何本もお銚子を倒して、その横で自分も倒れていたイメージ。

女将さんのコメント、面白く感じませんか?
若い頃の、あのお燗酒と、何が変わったのだろう。

僕にはわかります。
飲み方が変わった。
要するに、人と一緒に同じ酒を注ぎつ注がれつという飲み方がなくなったのだと思います。
もちろん宴会の習慣は今でも残っているけれど、
多くの場合、
今の僕らは、人に合わせるよりも、自分の好みを大切にする、
そんな習慣がついています。
「僕はサワー」
「私は芋焼酎」
「私はワインかな」
と、みんなが自分の好きな飲み物をとるのが当たり前になりました。

お燗酒は、注ぎつ注がれつを繰り返していると、際限なく飲んでしまう飲み物かもしれません。
でも、自分で注ぎ、自分のペースで飲んでいると、
自然に「あぁ、もういいか。」という処にたどり着きます。
この注ぎつ注がれつという習慣がなくなることを憂う人もいます。
「今の人は付き合いが淡泊だ。」
「先輩・後輩の筋目がわからんやつが増えた。」
色々な言葉で、若き頃の自分に重ねながら、寂しがるのです。

でも、まぁ
まずは、自分でやってみることです。
自分でお燗酒を手酌で飲んでみると、
きっとわかります。
こりゃあl楽だぞ... って。

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