オキナワ C面
オキナワを思うとき、 私たちは、少し複雑な気持ちになります。 少し後ろめたさを含んだような、そんな複雑な気持ちです。 A面は、Begin の憂いある甘い歌声、 沖縄そばの澄んだやさしいスープの味、 少しイラっとしながらも、思わずほほえんでしまう沖縄時間、 耳の奥にそっと残る三線(さんしん)の響き、 先祖と家族をなによりも大切に思う心。 そしてB面は、ひめゆり、 喜屋武(きゃん)岬のかなたに広がる海、 基地の上を飛び交うジェット機の轟音、 海兵隊員の足音、 琉球王国の記憶。 このような2面を持ったオキナワを、 どう受け止め、 どのように接したら良いのか。 オキナワの素晴らしさを礼賛することは簡単です。 いくらでも言葉を紡げます。 でも、私たちはB面を忘れることができない。 とてもとても重い、 重い記憶と現実です。 そんな複雑な思いを感じながら、 15年ぶりのオキナワを過ごしました。 泣きそうになるくらい、 いつまでも手を合わせて祈りたい気持ちを味わいました。 いにしえから大切に守られてきた、 神聖で神秘的な空気を味わいました。 波と風の音だけにかこまれて、 何も考えず、 いつまでもいつまでもここに座っていたいと思いました。 風土が育んできた、 とことんピュアな味わいを知りました。 そしてもうひとつ、 新しい発見をしました。 それはオキナワのC面。 歴史や現実、自然、そして様々な変化、 それらに、悠々と馴染んで生きている人々。 変わってゆくことを恐れず、 むしろ楽しんで、それを受け入れている人々。 そんなこと気にしないさと、 ケロッと笑っている人々。 自然とは、いつだって理屈をこねている私たちより何倍も賢いのです。 頭で生きている、生きていくことを強いられる都会。 現代社会。 理屈は、いつまでも理屈であり、 正義はありません。 それを一番知っているのが、 自然。 オキナワのC面は、 素晴らしい。