縁側と炬燵と蜜柑

僕の仕事部屋の窓から、ハナミヅキが見える。
我が家の2階屋根まで届く高さ。
庭の樹木は、ゆっくりだが確実に伸びている。
今は葉を落として、すでに来年の春に向けて花芽を膨らませている。

シジュウカラのためにつけた巣箱は、使われないままに風化して、
葉を落とした幹に屍のように引っかかっている。
灰色の空に浮かぶ景色は、
アンドリューワイエスの画のように、美しく、どこか哀しい。

独りでいることは楽しい。
時間と空間を独り占めして、
誰にも邪魔されず、ぼんやりできる。
いくつになっても、失いたくない時間だと思う。

と、ここまで書いたのですが、
ここから話が逆転します。
独りでいて、誰にも邪魔されずに好きな時間を過ごすのは、
そりゃぁ楽しいし、大事にしたいと誰もが思うことでしょう。
人からの束縛を離れて、
面倒くさい人間関係から離れて、
好きに生きたい。
だから核家族化が進みました。

でも、最近思うのです。
回りに老人が増えてきて、景色が変だぞ、と。
老人ホームや介護施設に行ったことがありますか?
あの景色は独特です。
老人ばかりがいて、みんな静かに黙っていて。

それぞれの事情を抱えておられることですから、
勝手なことを言うのはいけないことですが、
墓場に住んでいるように見えます。
あの人達は、何を楽しみ、何を目的にして、日々を生きておられるのだろう。
そして、これから
老人はどんどん、どんどん増え続けるのです。

元気な老人に働く機会をというのは賢明な考え方です。
定年を延長して、働けば良い。
賃金は年功序列から離れて低くなっても、
働いて、評価されるだけの賃金を得れば良い。
60歳で引退して30年間遊んで暮らすという考え方自体、
僕はおかしいと思います。

ただ、60歳を過ぎた方に、超満員の通勤を強いるのは過酷です。

今のように核家族社会でなかった頃、
日本の家庭は3世代が一緒に住んでいました。
老人には仕事がありました。
お婆さんは家事・洗濯を手伝い、
お爺さんはご近所との付き合いをしたり、火の用心で回ったり、
落ち葉を掃いたり。
留守番をしたり、赤ちゃんの世話をしたり、
子供に勉強や人生を教えたり。

老人と一緒に暮らすこと、
沢山の人数の中で暮らすことから、
子供達は沢山のことを学び、社会性を育んできたはずです。

現代社会は、
自分の幸せと愉しみのために、
不自由さや束縛を棄て、
我慢することを忘れ、
自由気ままに贅沢を享受してきました。
今起きている様々な社会問題は、
私たちが不自由さや束縛を棄ててきたことに
大きく因っているのではないでしょうか。

これからは経済成長を前提に未来を語れる時代ではありません。
日本がどういう国になってゆくのかを、
自分たちが選び、新しい国づくりをしてゆかなくてはなりません。
明治維新で一度崩壊し、
太平洋戦争でアメリカの属国となった日本は、
新しい国のかたちを、本気で考えなくてはならないのだと思います。

脱消費社会
共生
持続可能……

様々なキーワードをかたちにしてゆくために、
私たちは、もう一度
鍵もかけない家の縁側から「誰かいるかーい」と声を掛けてくる近所付き合いや、
いつも炬燵に入っているお婆さんの脇で、
蜜柑を食べながら遊んでいる子供と、
その子を満面の笑みで眺めているお婆さんのいる風景を、
そしてその価値を、
考えてみるべきだと思うのです。

コメント