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鮭のような生き方

「酒」ではなく「鮭」ですよ。 最近のことです。 50代もあと数年でおしまいという歳になって、 身体のあちこちが痛んだり、壊れたり、 本当にひどいことになってきました。 若い時は、年配の人が辛そうにしている姿や、 腰や肩が痛いと言うのを まるで人ごとのように聞いていました。 その頃の自分といえば、 いくら歩いても疲れることはなかったし、 草原に行けば自然に走り回ってしまうし、 まるで、自分の足に羽が生えているように思えたものです。 あぁ情けない。 でもこれが現実です。 人は老いるし、 老いると、身体のあちこちが痛むものなのです。 身体が弱ると、 人間は気持ちが弱くなります。 少しネガティブなことを考えがちになるし、 少し投げやりな精神状態になります。 こんなにあちこちが痛くては、 子育てから解放されても田舎で農民生活なんか出来ないのでは、とか そもそも 子育てから解放されるまで身体がもつのかな、とか それじゃぁ、俺の人生って一体何だったのか、とか… ちょっと空しい気持ち。 生きる意味って、 考えてもわかるものではありません。 考えたところでどうなるものでもありません。 神様はすべてを知っておられるとか、 どこかで誰かが見てくれているから、まっすぐ生きようとか、 目に見えないものは、やはり心から信じることはできませんよね。 本当にそうであればいいけど、 単なる思い過ごしかもしれない。 一応カトリック信者の自分としては身もふたもない言い方なのですが、 信仰の力は、しばしばぐらつくものなのです。 そんな自分が、 最近 鮭の生き方を思うようになりました。 鮭は大海原に出てゆき、 成魚になってから、生まれ故郷の川に戻り、 浅い川を必死になって上流まで遡って、 そこで 壮絶な子作りを繰り広げたあげく、 精も根も尽き果てて流されてゆきます。 川を一心不乱に遡ってゆく姿、 必死に産卵をする、その物凄い形相、 そして死んで流されてゆく姿。 その姿を見ていると、 一体この鮭たちは何のためにここまで頑張っているのだろう、 こんな生き方のどこに価値があるのだろう、 こんなことをするために、どうしてここまで帰ってこなくてはならないのだろうと、 哀しい気持ちになり...

大阪弁と韓国人

今年の目標は「月に3回プールで泳ぐこと」と家族に宣言したものだから、 週末になると、重い身体をひきずってプールに通っています。 別に泳ぎが嫌いなわけではありませんが、 しばらく水に浸かっていないと、 裸になって水に入るのがちょっとおっくうになるものです。 600mくらい泳いだら休憩時間になったので、 プールサイドに上がってボーっとしていました。 来るときは面倒くさいと思っても、 いざ飛び込んでみれば気持ちいいな、なんて思いながら。 ふと、隣で話している人たちの会話が耳に入りました。 大阪弁です。 これは東京人独特の感覚なのか それとも私のひねくれた感覚なのかどうかわかりませんが、 何となく大阪弁を耳にするとイラっとします。 何だか妙に耳につくのです。 何故だろう。 別に大阪が嫌いなわけではありません。 子供の頃から自他ともに認める阪神タイガースのファンで、 小学校の時には江夏 豊にファンレターまで書いた筋金入りです。 大阪の食文化は豊かだと思うし、 遊びに行った時に通天閣あたりで道がわからなくなり、 誰かに道を聞いたら、 まわりの人たちがなんやら集まってきて、 ああだこうだと、色々教えてくれた、 その庶民的なおせっかいに、 「うわー、東京都は違うなぁ」と、独特の暖かさを感じました。 米朝の落語は好きですし、 横山やすしのキャラも嫌いではない。 京都弁はきれいだと思う。 広島弁は懐かしいと思う(親戚に広島が多いので)。 博多弁は男っぽくてカッコいいと思う。 鹿児島弁はさらに男っぽくてカッコいいと思う。 高知弁はちょっとクセがあるけど面白いと思う。 東北弁はすごく人間味を感じるし、 北関東弁はちょっととぼけた感じが微笑ましい。 何だか大阪弁だけが自分の中で異質なのです。 何故だろう。 自分のなかを見つめてみると、 どうやら、 大阪人が東京にいながらも、 頑なに大阪弁を使っていることに対する反発心みたいなものがあるような気がします。 東京に住んでいて、 様々な社会で人と話をするなかで、 確かに大阪人は、わざわざ大阪弁を堂々と使っているところがあります。 別に標準語が話せないわけではない。 他の県の出身者は、たいてい標準語を使おうとするのだけれど、 何故か大阪...

同じ民族ゆえの面倒くささ

私が子供のころ「巨人の星」という少年マガジンに連載されたマンガが大人気でした。 あまりに有名なマンガですから、きっと今の若い人でも聞いたことがあるかもしれません。 単行本を買ってもらって擦り切れるほど読んだので、今でもよく覚えています。 その第1巻に、主人公の星 飛雄馬が若い頃の王 貞治に出会うシーンが描いてありました。 王 貞治のお父様は墨田区で「五十番」という中華料理屋をやっておられたのですが、 子供の私からみて、なんだか典型的な中国人のイメージが焼き付いています。 子供の頃の私には中国人も台湾人も区別はつかず、 中華料理屋の太っちょで少しうるさいけど大らかで憎めないおじさん、という印象が残っています。 中国人って、大きな国なのに外国に来てたくましく働いている、 うるさいけど何となく器が大きい、 明るい、 そんな良い印象が私の原体験でした。 さすが歴史の古い大国は違うな、と思っていました。 日本に様々な文化を伝え、原始的だった日本の国を賢くしてくれた国だと思っていました。 そんな良い意味で大国のイメージが、 時とともにぐーっとイメージダウンしてきたのは何故でしょう。 大人になってからの数十年、 子供の頃に抱いていたほのかな尊敬の念は、 どこかに消えてしまったような気がします。 国を代表する人々の全体主義的で威圧的な態度と、 札びらを切って品のない素行をする旅行者。 中国にビジネスに行った人からは、現地で騙されてもう懲り懲りという言葉。 この国の本質はいったいどこにあるのだろうと、 一度もかの国を訪れたことのない自分には、 よくわからないのです。 今日、職場で回ってきた中国の海外版「人民日報」を読んでいたら、素敵なインタビュー記事が載っていました。 清水寺貫主の森 清範さんのお話です。 清水寺貫主といえば、 毎年年末に清水の舞台ででっかい「今年の漢字」を書いておられる方です。 清水寺の属する法相宗は、唐の時代の高僧である玄奘三蔵(西遊記の三蔵法師)が租となった仏教の宗派なので、 森貫主は長年にわたって日本と中国の友好を深めることに力を注いでこられたそうです。 その森貫主が、もし中国に贈るならどの漢字を贈られますかという質問に対し、 「恩」という文字を挙げられました。 「日本は、中国から...

風の音にぞおどろかれぬる

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞおどろかれぬる」 古今和歌集にある藤原敏行の和歌です。 2月に秋風の話をするのも間が抜けていますが、 この歌はとてもわかり易いので、 季節の節目になると ふと思い出すのです。 今年の冬はとても寒いですね。 久し振りに寒いなぁと思う冬になりました。 昔からどちらかと言うと冬が好きで、 暑すぎる夏よりは冬のほうが絶対好き、と言っていましたが、 さすがに今年は春が待ち遠しい。 これは歳のせいかもしれませんが。 今日も寒い朝だったのですが、 霞が関で降りて日比谷公園の脇を歩いていた時、 ふっと春の気配を感じたのです。 何を考えていたわけでもないのですが、 ふっと風が通り過ぎたとき、 あれ、春の風だ。 そう感じました。 そういえば立春を過ぎたばかり。 日本の季節は、他の国の季節とは違う。 当たり前のことですが、 1月から12月のカレンダーに縛られた生活をしていると、 何となく4月にならないと春にならないような心持ちになるのでしょう。 3月の20日過ぎに桜が咲くと、 おいおいもうちょっと待てよ、と舌打ちしたくなるようなあの気持ち。 でも2月4日にもう春が来ていると思えば、 2週間くらいの開花の前後は想定内です。 もう春なのですね。 そして、 確かに今朝、私を通り過ぎた一陣の風は、 まさに春の風でありました。

キャパ

昔はちっとも好きではなかったのですが、 NHKの大河ドラマがとても楽しく思えるようになりました。 歳をとると歴史が好きになるのでしょうか、 読む本も歴史小説がかなり多くなりました。 今年の「西郷どん」も配役が良く、なんだかとても楽しみです。 今更ながら、 歴史に名を遺した人々の偉大さ、 昔の日本人の精神性の豊かさ、 教育の素晴らしさなど、 学ぶことが多くて、やめられない。 たとえそれが歴史の一側面であったとしても、 そこから学ぶことはとても多いと思うのです。 龍馬伝の福山雅治も恰好良かったし、 真田丸の堺 雅人も良かった。 軍師官兵衛の岡田准一も恰好良かったなぁ。 全然話がかわりますが、黒田官兵衛は出家した後に如水円清と名乗ったそうです。 私の母校の卒業生会は渋沢栄一によって「如水会」と名付けられ、多くの卒業生の心を集めています。 その意味は、「君子の交わりは淡きこと水のごとし」 とのこと。 最初にこの「如水」の意味を読んだ時、私には言葉の意味が腑に落ちませんでした。 交友とは肝胆相照らす深い付き合いをした友が多くいてこそ、その人物の器が見えるものと思っていたからです。 私は若いころチームスポーツであるサッカーをしていたので、 泥臭くて自他の区別もないチームメートとの交わりが身についていたのでしょうか。 淡い付き合いのどこに「君子」という人々の価値があるのか、 本当にピンときませんでした。 しかし、50歳を過ぎた頃からでしょうか。 徐々に「如水」の交友の意義が見えてきたように感じています。 同じ時を過ごし、気心が知れた友人でも、 時が経ち、それぞれの事情のなかで生きてゆく時、 昔と同じ気持ちでお互いを思うことはできなくなってきます。 それは寂しいことですが、 仕方ないこと、当たり前のことです。 昔話に花は咲いても、年月で築き上げた自分の芯はそれぞれに異なります。 表面的な仲の良さは、かえって別れたあとの虚しさを助長します。 そんな経験、ありませんか? 白洲次郎の話を読んでいた時、 彼が若い時代を共に過ごしたイギリス人貴族との再会をした時の逸話が書いてありました。 お互いにとても心待ちにしていた再会だったそうですが、 二人は一緒の車に乗っている間、これという会話もせず、 別れる時...