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3月, 2015の投稿を表示しています

お礼とお詫び

良い歳の重ね方について、ちょっと考えさせられたこと。 ホント久しぶりに知人の女性にお会いしました。 聞けば95歳とのこと。 月島のホームから四谷まで、ひとりでバスに乗って来られたそうです。 すごいですね。 両親をはじめ、回りの老人たちを見ていると、 みんなどんどん老けていって、 ある人は頭が呆けてきたり、 ある人は身体の調子が悪くなって入院を繰り返したり、 足が弱くなったり、 一様に老人化しています。 これから、ますます老人が多い社会になっていくなかで、 「老いる」ってどういうことなのか、 「長生きする」って何の意味があるのか、 考えさせられませんか? 大抵の場合、老人はそれほど美しい存在ではありません。 急いでいる時に、前をのろのろ歩いている老人に苛立ったり、 疲れて電車にやっと座席を見つけた時、 前に老人がやって来たために席を譲ってあげなくてはならなかったり、 何度も同じ話ばかり聞かされたり、 それでいてガツガツ良く食べているのを見てうんざりしたり。 老いることが美しくないと、 自分も老いることがいやになります。 出来るだけ人の世話にならず、 きれいに老いてゆきたいなぁと、思ったりします。 こんなことを考えるのは、 道徳的にみて宜しくないことですし、 わかっているのです。 自分がその時になったら、きっと何もできず、 同じように老いてゆくのだろうと。 老人は、生き生きと生きていなくてはなりません。 生き生きと生きるためには、 暇をもてあましてゴロゴロしていてはいけない。 社会のなかの役割を担っていなくてはいけないのだと思います。 定年のあるサラリーマンが多い世の中になったからでしょうか。 ある一定の歳を超えると、 みんな働くのを止めてしまいます。 核家族化が進んだために、 仕事のない老人は、することもなく、 夫婦で日がなテレビを見たり散歩をしたりして過ごすのでしょうか。 老人ホームや特養に行くと、 そんな老人の集団を前に後ずさりしたくなるほど、 一種の恐怖を感じます。 この世を生きた結末が、これなのか? そんなのいやだ。 きっと誰もがそう思うのではないでしょうか。 さて、 95歳の女性とお話をしていて、 そんな「老い」を、少し前向きに感じることができ...

阿佐ヶ谷の魅力

私は中央区の生まれで、 結婚する32歳までそこに住んでいた、 どちらかと言えば根っからの下町っ子です。 下町が好きですし、 特に人形町なんかが大好き。 考えただけでも、今でもわくわくします。 江戸弁をしゃべるお年寄りなんかもいたりして、 それはそれは素敵。 結婚して住んだのが神楽坂の近くで、 これはこれで素晴らしく素敵な町でした。 少し下町の風情を持ちながら、 ちょっと粋な大人の町。 食べ物も美味しかったなぁ。 今考えても、わくわくします。 初めて自分の家を持ったのが阿佐ヶ谷です。 正確に言うと、 下井草と阿佐ヶ谷と荻窪の三角形の真ん中で、 一番近い駅は、実は下井草なのですが、 私は阿佐ヶ谷に住んでいますと人に言います。 阿佐ヶ谷が気に入っているから。 10年以上暮らした神楽坂を抜いて、 私にとって第2の故郷になってしまったようです。 中央線沿線の駅は、 それぞれにとても魅力的なのですが、 私には阿佐ヶ谷がマッチしたみたい。 人形町や神楽坂ほどに 名店が軒を連ねているわけでもないし、 飛び抜けたものがあるわけでもない。 いたって庶民的で、 ざっくばらんであるのですが、 何となく、 この町にはちょっと粋な心意気のようなものがあるように思えます。 吉祥寺ほどおしゃれでキレイなおねえさんがが歩いているわけでもなく。 西荻のような個性的なアンティックやカフェ文化があるわけでもなく。 中野や高円寺のようなディープな飲食店が連なっているわけでもなく。 荻窪ほど文化的でもなく。 でも、 阿佐ヶ谷を選ぶ人には、 独特の審美眼があるのでしょう。 多分、阿佐ヶ谷を選ぶ人は、 阿佐ヶ谷が好きで選んでいるのではないかと思えるのです。 パールセンターは、ごく普通のアーケード街ですが、 独特の活気があり、 キラリとした個性を持った店があります。 横町に入れば、 ひっそりと感じの良い店があります。 一番街は、今ちょっと寂れているけれど、 今にみておれという奥深さがあり、 スターロードや川端通り、いちょう小路には、 ちょっと面白そうな店が、どんどんあらわれます。 松乃寿司なんて、 ガード下のさりげない寿司屋さんが、 飾らずに とっても美味しい寿司を食べさせてくれます。 古い文化と...