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山田和樹と武蔵野合唱団

私は歌ったり演奏したりすることは好きなのですが、 色々な音楽を違う演奏家で聞き比べたりすることはありません。 そこまで凝ってはいません。 というより、 音楽というものは、スポーツも同じなのですが、 人がやっているのを見たり聴いたりするよりも、 自分が演奏者として、プレイヤーとして参加する方が ずっとずっと楽しいのだと思っています。 50歳を過ぎて、少し子育てから解放されつつあるので、 少し歌うことに戻ってみようかと、 昨年は東響コーラスという合唱団に入って マーラーの大曲を歌いました。 自分の実力はともかくとして、 その演奏は本当に素晴らしいもので、 頭の中がジンと痺れて、 身体の力が抜けてしまうような感覚を ホント久しぶりに感じました。 エクスタシーというやつです。 合唱というのは、 自己主張してグイグイと好き勝手やるものとは正反対で、 大勢のなかのひとり。 ジグソーパズルのひとつのパーツとして、 指揮者に身をゆだねる世界です。 自分のパートをちゃんと練習して、 ちゃんと歌いきるぞと頑張って、 頑張っただけの感動を得ることができる。 もちろんプロの世界は奥深いものがあるのでしょうが、 ある意味とても楽ちんな世界です。 歌うことを続けたいと思いました。 東響コーラスからの有難いお誘いも頂いたのですが、 私のような楽ちん主義者が属するには この合唱団の求めるレベルは高くてストイックなのです。 家に近い吉祥寺を本拠とする武蔵野合唱団に入れて頂きました。 武蔵野合唱団は、小林研一郎さんが指導してきた 60年の歴史を持つ立派な合唱団です。 初めて練習に参加した時に、 歓迎の歌 「新しき友」 という歌を皆で歌って下さいました。 その力強くて明るい、そして温かみのある歌声に、 とても感激して、 あぁ、ここにしよう、と思いました。 私が歌というものに惹かれるのは、 そこに人間の温かさや苦しさ、嬉しさや哀しさ、 そいういった人間のナイーブな心を伝える力があるからです。 人の声にしかない音としての美しさと、 そしてそれを歌っているひとりひとりの心。 そんな心を、 私は武蔵野合唱団の皆さんの歌声に感じました。 昨日、 初めての演奏会がありました。 渋谷のオーチャードホールで、...

努力のチカラ

毎日色々な人にあって、色々な出来事に遭遇しますが、 心に強く感じたことは、 しっかり心のメモリーに残しておかなくてはならないと思います。 あまりたいそうな学びでなくても、 大切な 「気づき」 です。 私が独立してから2年半が過ぎました。 日々手探りながら、頑張って過ごしてきたと思っています。 でも、 頑張るというのは、そんなレベルじゃだめなんだと、 知人の姿を通して教えられました。 頑張るというのは、 徹底的にやり抜くこと。 ここまでという制限を設けることなく、 倒れるまで走り続けることであると、 教えられました。 だから若い人は伸びるのです。 年をとると、 身体のことを気にしたり、 それ以上に、自分の能力に自分勝手な枠を作ってしまい、 計画的な行動に傾きがちです。 計画的な行動は、賢い行動であり、 合理的で悪いことではありません。 でも、なかなか突き抜けることは出来ない。 突き抜けるためには、 理性を超えた行動が必要だと、 学びました。 自分の努力に結果が充分についてこない時、 その原因は、努力の不足にあると思います。 成功した方の話しに良く出て来る 「成功するには、成功するまでやり続けること」 というフレーズを思い出しました。 頑張るにはモチベーションが必要です。 心が必要です。 自分に、本当の覚悟があるのか。 自問しながら、 今日も一日が始まります。

声を出すこと

最近の若者はコミュニケーション能力が低いと聞きました。 能力と決めつけるのはちょっと尚早。 慣れていないという方が優しい言い方ですね。 考えてみれば、 子供の時から大人の今にいたるまで、 友人であれ、良く知らない人であれ、 他人とコミュニケーションをとるのは難しいことです。 だから、 私たちはいつも悩んでいます。 自分は果たして理解されているのだろうか、 あの人は私のことを嫌っているのではないだろうか、 私って、実は皆に馬鹿にされているのではないか… 言葉にしてしまうと、何だか馬鹿馬鹿しく響くのですが、 でも、 私たちは日々そんな思いに心を揺すられながら生活しています。 人間関係なんて面倒くさい。 この間まで、気の合う友達だと思っていたのに、 つまらない出来事で口もきいてもらえなくなったり、 いい奴だと思っていた友人が、 何だか急に信じられなくなったり。 人間関係は本当に面倒くさい。 いっそ家に引きこもって、 人とは関係せずに、 本でも読んで暮らしたいなんて、 無理だと知りながらも愚痴をたれたくなる。 若者の皆さん、安心して下さい。 こんな気持ちは、大人になっても変わりません。 人が人である以上、 自分は他人にはなれず、 人と自分の気持ちの乖離は、 永遠に一本線に交わることはありません。 コミュニケーションとは、 所詮他人である者同士が、 生きていくために仕方なく共通点を探す作業です。 だから、出来るだけシンプルな方が良い。 手法が複雑だったり間接的だったりするほど、 共通点を探すのには時間がかかるし、 間違った道に踏み込んでしまう恐れもあるからです。 メールというツールは、 現代社会において、革命的とも言える画期的なコミュニケーション手段です。 どんなに忙しくても、 お互いの気持ちが離れていても、 お互いが空いている時間を利用して、 自分の言いたいことを丁寧に伝えることができます。 でも、メールは間接的な手法で、 あくまで自分の陣地の中で声を発しているに過ぎません。 言いっ放し、聞きっぱなし。 だから交わらないし、誤解もおきる。 コミュニケーションとは、 真っ暗闇のなかで相手におそるおそる手を伸ばし、 手探りで相手の位置を確かめる。 漸く触...