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1月, 2017の投稿を表示しています

川名

ゴルフ場ではありません。 あれは川奈。 もちろんテレビでしか見たことはありませんが。 川名は地元の居酒屋。 阿佐ヶ谷北では、それなりに名の知れた老舗の居酒屋です。 前から名前は知っていたし、 前もよく通りがかっていたのですが、 何となく入るきっかけがなくて、 というかそれ以前にひっかかる店が沢山ありすぎて、 今まで入ったことがなかったのです。 たまたま、行こうと思っていた店が3軒たて続けに満席で、 それなら行ってみようと思って行ったわけであります。 まぁ、地元では有名でも、 大人の隠れ家みたいな雑誌に取り上げられるような店でもありません。 ふつうの居酒屋です。 でも、 大満足。 いやぁ、飽きずに通える店って、 こういう店なんだろうなと、しみじみ思ったのです。 別にサービスがとりたてて良いわけではありませんし、 びっくりすようなメニューがあるわけでも、 すごい親父の料理のパフォーマンスがあるわけでも、 ほっぺたが落ちそうなすごい料理があるわけでもありません。 心地よさ。 客に気を遣わせず、 楽に一杯の酒をゆっくりと楽しませてくれる雰囲気。 料理は手作りで、真摯に作っている親父の心が伝わってきます。 常連さんらしい60過ぎの男性が入ってきて、 私の横に座りながらビールを注文し、 「煮込みと、豚の串を3本」とオーダー。 どかっと座っておもむろにカバンから本を取り出して読み始めました。 何を読んでいるのかと、ちらっと横目で覗うと、 なんと洋書でありました。 表紙に Murakami とあったので、 これは私の大好きな村上春樹の本だ!と、勝手に盛り上がり、 題名を覗うと、 「The Wind-Up Bird Chronicle」と読める。 これは大好きな 「ねじまき鳥のクロニクル」ではありませんか。 あぁ、阿佐ヶ谷は深い。 この気楽な飲み屋で、 ビールを飲みながら、 実に気楽に村上春樹の洋書を読む初老の男性。 こぎれいではありませんが、 なんとも品格のある景色ではありませんか。 こんな情景にたまに出くわすと、 なんだかものすごく得をした気持ちになるものです。 日本もまだまだ棄てたもんじゃないぞと。

生みの苦しみ

少々尾籠な話になりますがご勘弁を。 トイレの話です。 パンツを買いに行って気づいたこと。 最近の男性パンツには前の出入口がないものが多いのです。 女性用っぽいセクシーパンツであれば、 前の出入口がなくても横からちょろっと顔を出して用を足すことができるのですが、 ブリーフタイプのパンツになると、ちょっとやりにくい。 なんでこんなことになっているのだろうと、不思議に思っていました。 確かに、最近男子小用のトイレに行くと、 若者がズボンをしっかりと降ろして用を足している姿がみられ、 なんでそこまで脱がなくちゃいけないのかなぁと思っていました。 なるほど、前の出入口がないパンツでは、 ちゃんと降ろさなくては用が足しにくいでしょう。 いやいや、不便な世の中になったものです。 前の出入口がないパンツが増えた理由はもうひとつありそうです。 長らく独身を貫いていた大学の先輩が最近ご結婚されたのですが、 そのお祝いパーティーを内輪でやった時のこと。 先輩が結婚に際して奥様から、 「トイレは座ってして下さい」 と言われたそうです。 その時は、「えーっ!男が座ってするの?」 と笑いとばしていたのですが、 どうやら非常識は私の方だったようで、 世の中にはすでに座って用を足す男性がかなり多くなっているようですね。 確かに座って用を足せば、 男性に特有の無用な飛び散りが減り、 トイレ内の清潔度は格段に上がるでしょう。 男性が3名いる我が家など、清掃の必要が大分減るはずです。 まぁ、そんなこともあって、 今年の我が家の方針のなかに、 「男性もトイレは座ってすること」 の一か条を加えました。 女性陣は大喜びです。 さて、決めたはいいのですが、 いざ用を足すとなると、 56年も続けた習慣を変えるというのは、意外にストレスになります。 小用を足すのにパンツまで脱ぐのに何となく抵抗がありますし、 いざパンツを脱いで座ると、 どうも大便をする気分になってしまうのです。 ちがうぞ、ここは小用を足す場面だぞと自分に言い聞かせながら、 ちょっと肛門を絞めて小用を足す面倒くささ。 つまらない話ですし、 まぁ、そのうち慣れることでしょう。 言い出しっぺとして、途中ギブアップするわけにもいきません。 もう少し生みの苦しみ...

世界の曲がり角

しばらく前から、民主主義だとか資本主義だとか、 私たちが生まれた時から当たり前のようにそこにあった価値観というものに 疑問や限界のようなものを覚えるようになりました。 物質的な豊かさにはもうおなかが一杯の若者たちの価値観。 異常気象や地球温暖化と不確実な未来。 いったい、どこへ向かって人間は生きていけばいいのだろうか。 しあわせとは何だろう、 豊かさとは何だろう。 あらためて、そんなことを漠然と考えることが増えたような気がします。 アメリカでドナルド・トランプ氏が大統領に指名された時、 多くの日本人が驚き、違和感を覚えたと思います。 もちろん私もそのひとりです。 丁度一年ほど前、アメリカの友人と大統領選挙の話をした時、 彼は実に楽観的な顔つきで、 「悪いジョークさ。」と笑い飛ばしていました。 彼にとっては、まるで悪夢に思える選挙結果なのだったろうと思いますし、 他の多くの人々にとっても悪夢だったのでしょう。 イギリスがEUを脱退する国民投票結果を出した時も、 信じられない顔をしたイギリス人が沢山いました。 まったく同じような結果がアメリカでも出るなどとは、思いもよりませんでしたが、 一方で、ちょっとザワザワとした悪い予感が頭をよぎったのも事実です。 人間は利己主義的な動物で、社会は弱肉強食のルールでできている。 人間は理性で自己を覆い隠しているが、心のなかはいつも不満で一杯である。 そんな人間の本性が、見える気がします。 アメリカは、戦後の日本にとって、良識ある親分という存在でした。 特に社会が豊かさを増して余裕がうまれるとともに、 アメリカはどんどん良識ある世界の親分という存在になってゆきました。 オバマ大統領などは、その典型です。 この人にまかせておけば、大局として変な未来を導くことはなさそうという、 なにか安心感がありました。 でも、それがアメリカ人の心の中ではなかったのですね。 アメリカ人は、自らが信じる「理想的な人間」を演じてきた。 自己催眠のように。 日本に来るアメリカ人、世界のニュースに出てくるようなアメリカ人は、 アメリカ人の一般を代表するアメリカ人ではなかったのだということです。 マジョリティーのアメリカ人は、 世界のなかで良識ある親分でありたいなんて思っていなかった...

生活の知恵

大リーグのイチロー、ゴルフの石川 遼、サッカーの本田圭佑、テニスの錦織 圭。 彼らはみな、子供の時に大きく、明確な目標・夢を持っていたと言われています。 それは、笑ってしまうほど彼らの現状そのままの目標になっていて驚かされます。 つくづく、 スタンフォードのケート・マクゴニガル先生の言うところの Will Power って凄いんだなぁと。 世の中には、様々な成功哲学書やセミナーがあって、 私も若い頃に興味を持って読んだりしました。 その多くが、「強い願いを持つことで、願いは実現する」というようなことを言っています。 考えてみれば、 これは別に魔法でもなんでもなく、 強い願いを持つことで、それに向かって集中できて、 実現するまで諦めない、という生活習慣ができるということですから、 当たり前といえば当たり前のことなのかもしれません。 少なくとも、 自分に何か夢なり希望があるとして、 それを叶えたいと願うのなら、 それに向かって、実現するまで諦めないという生活習慣は、 是非取り入れるべきだと思います。 その生活習慣の規範となるのが、 目標というものだと思います。 というわけで、 我家では、毎年元日に家族全員がひとりずつその年の目標を発表することにしています。 まず、前年の目標の進捗を報告し、 それから新年の目標を発表するのです。 各自の目標は、まとめて一覧表にし、 リビングの壁に貼っておきます。 もう10年近く続けているその習慣ですが、 興味深いのは、 続けることで、各自の目標が徐々に具体的なものになってきたことです。 最初のうちは、 「勉強頑張る」「スポーツをしっかりやる」とかいった 漠然とした目標をたてているのですが、 徐々に 「科目の半分以上Aを取る」とか 「自己ベストタイムを上回る」とか 「本を年間30冊読む」とか、 具体的な数字が目標になってきます。 そして 目標が具体的になればなるほど、 それを追いかける態度が生まれてきます。 そしてその達成率も高くなってくるのです。 生活の知恵とは、 そういうものなのだなと、この歳になって少しずつわかってきました。

初日の出

我が家は東向きに建っているので、 その気になれば、毎朝日の出を見ることができます。 もちろん、 その気になってもお天道様の機嫌次第ということもありますが。 東向きに建っていることと、 東側の隣家が三菱のディーラーであることも 見晴らしの良い理由です。 このロケーションが気に入って家を買ったといっても あながち嘘ではないのです。 昨年、三菱自動車が色々と問題を起こし、 自力再建は難しいかと言われた時、 真っ先に心配したのは、 隣家をどこかのマンション業者に売却してしまわないかということ。 まぁ、自分勝手な理屈ではありますが、 切実な問題であります。 日産のカルロス・ゴーンさんが三菱自動車の株式を取得と聞いて、 ほっと胸を撫でおろしたものでありました。 しかし、胸を撫でおろしたのもつかの間。 最初の悪い予感が的中して、 隣家は取り壊しとなりました。 この広い土地を、東京都が買って 公園にしてくれれば最高なんだが…などという勝手な願いは 当然のごとく裏切られ、 どうやら最悪のシナリオが現実になりそうなのです。 少し背の高いマンションが隣地に建ってしまったら、 我が家の最大の価値である(と言っても過言でない)見晴らしが失われてしまいます。 ひょっとしたら、今年の初日の出が最後の初日の出になるのかもしれないと、 人にはわからぬだろう悲壮感を抱きつつ、 我が家の総員6名は、 悲壮な思いを胸に今年の初日の出を見たのでした。 神様はそんな私たち家族の小さな思いに、 晴天という形で答えてくれました。 かつて富士山の山頂で見た日の出も それは美しいものでしたが、 杉並区の2階から更地の向こうに見た日の出も、 私たち家族の胸には きっと長く記憶されることでしょう。