大阪弁と韓国人
今年の目標は「月に3回プールで泳ぐこと」と家族に宣言したものだから、
週末になると、重い身体をひきずってプールに通っています。
別に泳ぎが嫌いなわけではありませんが、
しばらく水に浸かっていないと、
裸になって水に入るのがちょっとおっくうになるものです。
600mくらい泳いだら休憩時間になったので、
プールサイドに上がってボーっとしていました。
来るときは面倒くさいと思っても、
いざ飛び込んでみれば気持ちいいな、なんて思いながら。
ふと、隣で話している人たちの会話が耳に入りました。
大阪弁です。
これは東京人独特の感覚なのか
それとも私のひねくれた感覚なのかどうかわかりませんが、
何となく大阪弁を耳にするとイラっとします。
何だか妙に耳につくのです。
何故だろう。
別に大阪が嫌いなわけではありません。
子供の頃から自他ともに認める阪神タイガースのファンで、
小学校の時には江夏 豊にファンレターまで書いた筋金入りです。
大阪の食文化は豊かだと思うし、
遊びに行った時に通天閣あたりで道がわからなくなり、
誰かに道を聞いたら、
まわりの人たちがなんやら集まってきて、
ああだこうだと、色々教えてくれた、
その庶民的なおせっかいに、
「うわー、東京都は違うなぁ」と、独特の暖かさを感じました。
米朝の落語は好きですし、
横山やすしのキャラも嫌いではない。
京都弁はきれいだと思う。
広島弁は懐かしいと思う(親戚に広島が多いので)。
博多弁は男っぽくてカッコいいと思う。
鹿児島弁はさらに男っぽくてカッコいいと思う。
高知弁はちょっとクセがあるけど面白いと思う。
東北弁はすごく人間味を感じるし、
北関東弁はちょっととぼけた感じが微笑ましい。
何だか大阪弁だけが自分の中で異質なのです。
何故だろう。
自分のなかを見つめてみると、
どうやら、
大阪人が東京にいながらも、
頑なに大阪弁を使っていることに対する反発心みたいなものがあるような気がします。
東京に住んでいて、
様々な社会で人と話をするなかで、
確かに大阪人は、わざわざ大阪弁を堂々と使っているところがあります。
別に標準語が話せないわけではない。
他の県の出身者は、たいてい標準語を使おうとするのだけれど、
何故か大阪人だけは、ある種かたくなに大阪弁を使っています。
つい地元の言葉が出ちゃった、というのではなく、
最初から「どうや~!」みたいな感じで大阪丸出しで挑んでくる感じ。
それは、自分の出身地に対するプライドなのでしょうか?
決して東京の文化に溶け込もうとしないところが、
なんとなく「可愛げなく」感じるのでしょう。
東京と大阪は東と西の中心地。
エスカレーターの追い越しもも東京は右側で大阪は左側。
近くにあるライバルみたいな思いがあるのかな。
これって、韓国と日本の関係と同じではありませんか?
歴史認識に関する政治的な駆け引きは置いておいて、
韓国と日本は、歴史的に長く深い関係を持つ隣国同士です。
お互いにリスペクトすべき文化や歴史を持っており、
目標を遂げるためには努力を惜しまない国民性も似通っています。
そして立派に発展を遂げています。
スポーツでも立派な成績をあげています。
韓国の焼き肉は、日本人が大好きな食べ物。
でも、
韓国人と聞いただけで、何となくイラっとする日本人。
きっと韓国人も日本人と聞いただけで、何となくイラっとするのでしょう。
確実に。
ライバルは、仲良しにはなれません。
いつまでも一種の「敵」です。
でも、
ライバルだからこそ咲かす美しい花があります。
平昌オリンピックで、私たちはそれを目にして、うるっとしました。
そんな美しい花を咲かすことに、
もっと私たちは目を向けて、
努力をするべきだと思うのです。
そして、
相手にライバルと認めてもらえるだけの、
立派な自己を築き上げること。
なぜなら、ライバルとは自分が主張するものではなく、
相手が認めることだから。
週末になると、重い身体をひきずってプールに通っています。
別に泳ぎが嫌いなわけではありませんが、
しばらく水に浸かっていないと、
裸になって水に入るのがちょっとおっくうになるものです。
600mくらい泳いだら休憩時間になったので、
プールサイドに上がってボーっとしていました。
来るときは面倒くさいと思っても、
いざ飛び込んでみれば気持ちいいな、なんて思いながら。
ふと、隣で話している人たちの会話が耳に入りました。
大阪弁です。
これは東京人独特の感覚なのか
それとも私のひねくれた感覚なのかどうかわかりませんが、
何となく大阪弁を耳にするとイラっとします。
何だか妙に耳につくのです。
何故だろう。
別に大阪が嫌いなわけではありません。
子供の頃から自他ともに認める阪神タイガースのファンで、
小学校の時には江夏 豊にファンレターまで書いた筋金入りです。
大阪の食文化は豊かだと思うし、
遊びに行った時に通天閣あたりで道がわからなくなり、
誰かに道を聞いたら、
まわりの人たちがなんやら集まってきて、
ああだこうだと、色々教えてくれた、
その庶民的なおせっかいに、
「うわー、東京都は違うなぁ」と、独特の暖かさを感じました。
米朝の落語は好きですし、
横山やすしのキャラも嫌いではない。
京都弁はきれいだと思う。
広島弁は懐かしいと思う(親戚に広島が多いので)。
博多弁は男っぽくてカッコいいと思う。
鹿児島弁はさらに男っぽくてカッコいいと思う。
高知弁はちょっとクセがあるけど面白いと思う。
東北弁はすごく人間味を感じるし、
北関東弁はちょっととぼけた感じが微笑ましい。
何だか大阪弁だけが自分の中で異質なのです。
何故だろう。
自分のなかを見つめてみると、
どうやら、
大阪人が東京にいながらも、
頑なに大阪弁を使っていることに対する反発心みたいなものがあるような気がします。
東京に住んでいて、
様々な社会で人と話をするなかで、
確かに大阪人は、わざわざ大阪弁を堂々と使っているところがあります。
別に標準語が話せないわけではない。
他の県の出身者は、たいてい標準語を使おうとするのだけれど、
何故か大阪人だけは、ある種かたくなに大阪弁を使っています。
つい地元の言葉が出ちゃった、というのではなく、
最初から「どうや~!」みたいな感じで大阪丸出しで挑んでくる感じ。
それは、自分の出身地に対するプライドなのでしょうか?
決して東京の文化に溶け込もうとしないところが、
なんとなく「可愛げなく」感じるのでしょう。
東京と大阪は東と西の中心地。
エスカレーターの追い越しもも東京は右側で大阪は左側。
近くにあるライバルみたいな思いがあるのかな。
これって、韓国と日本の関係と同じではありませんか?
歴史認識に関する政治的な駆け引きは置いておいて、
韓国と日本は、歴史的に長く深い関係を持つ隣国同士です。
お互いにリスペクトすべき文化や歴史を持っており、
目標を遂げるためには努力を惜しまない国民性も似通っています。
そして立派に発展を遂げています。
スポーツでも立派な成績をあげています。
韓国の焼き肉は、日本人が大好きな食べ物。
でも、
韓国人と聞いただけで、何となくイラっとする日本人。
きっと韓国人も日本人と聞いただけで、何となくイラっとするのでしょう。
確実に。
ライバルは、仲良しにはなれません。
いつまでも一種の「敵」です。
でも、
ライバルだからこそ咲かす美しい花があります。
平昌オリンピックで、私たちはそれを目にして、うるっとしました。
そんな美しい花を咲かすことに、
もっと私たちは目を向けて、
努力をするべきだと思うのです。
そして、
相手にライバルと認めてもらえるだけの、
立派な自己を築き上げること。
なぜなら、ライバルとは自分が主張するものではなく、
相手が認めることだから。
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