座禅と呼吸について

今となっては記憶が定かではないのですが、
中学生か高校生のころ、
夏休みに10日ほど静岡県の禅寺で修行したことがあります。

もちろん自分から「行かせて下さい」などと言うわけはない。
母が友人から自分の息子と一緒にどうですかと誘われたらしく、
面倒くさいけれど、ちょっと興味もあったので、いいですよと言ったら、
結局その息子は逃げて、私がひとりで行くことになりました。
忘れもしない、
三島の山中にある臨済宗妙心寺派の龍澤寺というお寺でした。

1週間だか10日だか、その寺で過ごした日々。
別に何をするでもなく、寺のお坊さんたちと一緒に朝から晩までお勤めをします。
早朝に起きて境内の清掃、
畑仕事、
座禅。
それくらいのことしかした記憶はないのですが、
この禅寺で過ごした時間は、
静かな風と、蝉の声とともに、私のなかに深く生きています。

朝に夕に般若心経を唱え、
質素な精進料理をお坊さんと一緒に静かに食べ、
薪を焚いて沸かしたお風呂にお坊さんと一緒に入り、
暗くなればお堂で静かに寝る。
ひたすらそのような毎日です。
わいわいとおしゃべりをすることもなく、
静かに時間が過ぎてゆきます。

毎日座禅を組んでいましたが、
何の意味があるのか、まったく考えもしなかったし、
特に何も残っていません。
誰も何も教えてはくれませんでした。

それから45年が過ぎました。
友人がフェイスブックに「座禅の勧め」という投稿をしているのを見て、
久し振りに組んでみようかと思いました。
現代は便利な時代になっていて、
座禅も携帯のアプリでダウンロードしてする時代です。
ちゃんと説明までついています。

友人は心の中を空っぽにするのだと言っています。
呼吸法だとも言っていました。

とにかく静かに座り、
できるだけ何も考えないようにして、
ただ息をすることに心を傾ける15分間。

何も考えまいと思っても、
勝手に色々な思いが頭に浮かんできます。
考えないんだよ、とデリートする。
でもそのうちデリートすることも忘れて、
物思いにふける。
この空っぽな時間は、
一種、自分をリセットする気持ちよさがあります。

呼吸は吐く息が大切と聞きます。
しっかりと息を吐ききれば、
自然に空気は入ってくる。

なぜなのだろうと思います。
私達の生活は「入れる」ところから始めるのが基本でしょう。
食物を食べて排泄する。
知識を入れてアウトプットを出す。
呼吸にしたって、
新鮮な空気を胸いっぱいにに吸うと、
身体じゅうに生気がみなぎって、
暖かくなるのを感じます。

息を吐くことに喜びや充実は感じません。
簡単なことでも、
私にはまだわからないことが沢山あります。

年を経ると、
どんどん身体の機能が低下してきます。
物覚えもすごく悪くなる。
新しい知識が入らなくなる。
いやですよね、
哀しいですよね。

まてよ、と今日思いました。
しっかりと吐き切れば、新しいものは自然に入ってくるはず。
年をとって新しいものが入らないと思う前に、
しっかりと吐き切ることに力を注ぐべきなのだろうか。
まず今日一日、
そんなことを考えながら過ごしてみましょう。

こんな小さな気づきでも、
座禅をして良かった。

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