えにし

「縁」という字を書いて「えん」とも「えにし」とも読みます。
何となく、「えん」と言うと軽い感じがしますが、
「えにし」というと、少しおどろおどろしい「因縁」のようなニュアンスを覚えます。

若いころは「邂逅」というものはあまりありません。
当然のことながら、
長く生きてこその「邂逅」ですから。

思いがけないところで、思いがけない人に会う。
もしくは、
思いがけないところで、すっかり忘れていた人の話を聞く。
これを「偶然」と思うのか、
それとも「必然」と思うのか。

「縁」という言葉の持つニュアンスは、
「必然」を意味します。

もう数十年も、一度も思い出したこともない人にばったりと出会う。
最初は本当に本人かもわからないし、
向こうも自分のことを覚えているかもわからないし、
まぁ、気付かないふりをして通り過ぎてしまおうか、と思います。

実際、
たまにまるっきりの勘違いというケースもあるわけで。
「あの、ひょっとして〇〇さんではありませんか?」
と尋ねたら、
「???」という顔をされて赤面のいたり、なんてこともあります。

また縁があれば会うさ、と思える若さならば良いけれど、
還暦という歳ごろになると、
人生もカウントダウン。
もう一度お目にかかる縁なんて、まずあり得ないでしょう。
まぁ、間違いでもいいから一応声を掛けてみよう、と思います。

この間、小学校の時の同級生からフェイスブックのメッセンジャーが届きました。
別に良く遊んだ友人というわけでもありません。

「この間、親しい方のお嬢さんの結婚式で相席だった方が、貴方の幼稚園のお友達のお母さまだとおっしゃっていました。」
とのこと。

確かに、その彼は私の幼稚園時代の仲良しでした。
でも、同じだったのは幼稚園だけで、
小学校から大学までまったく別々で、
連絡を取り合うこともまったくありませんでした。

彼はとても優秀な官僚だったのですが、
若くして事故で亡くなってしまいました。

それだけの接点。
私にメッセンジャーをくれた友人と自分の亡くなった息子が同じ齢だということがわかり、
出身校を聞いて、私のことを思い出して下さったのでしょう。

遠い昔に彼と砂場や園庭で遊んだ記憶や、
彼の笑顔が思い出されて、
何だか泣けてくるような気持ちになりました。

私達が人生で刻む一瞬の積み重ねは、
常にリセットされて、新しいページを積み上げてゆきます。
過去はどんどん遠ざかり、
記憶にはベールがかかってゆきます。

その昔に出会って同じ時をすごした彼。
彼と過ごして遊んだ経験は、今の自分のなかに生きているはず。
それは無駄な時間ではなく、
消え去った時間でもなく、
今の自分のなかに生きているものです。
とても小さなパーツだとしても、
確実に自分を形成するパーツです。

人生とは、そんなことの積み重ね。
一瞬の積み重ねは、とてつもなく大きな集積となります。
まさに「えにし」という言葉がふさわしい、
沢山の人々との交わりから生み出された、今の自分に繋がります。

偶然の邂逅はとても懐かしく、
心温まる体験です。
その人との出会いがこれからの自分をどのように形成してゆくのだろうと、
そんな自分の成り立ちに気づかせてくれる、
そんな時間になるものですね。

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