お礼とお詫び

良い歳の重ね方について、ちょっと考えさせられたこと。

ホント久しぶりに知人の女性にお会いしました。
聞けば95歳とのこと。
月島のホームから四谷まで、ひとりでバスに乗って来られたそうです。
すごいですね。

両親をはじめ、回りの老人たちを見ていると、
みんなどんどん老けていって、
ある人は頭が呆けてきたり、
ある人は身体の調子が悪くなって入院を繰り返したり、
足が弱くなったり、
一様に老人化しています。

これから、ますます老人が多い社会になっていくなかで、
「老いる」ってどういうことなのか、
「長生きする」って何の意味があるのか、
考えさせられませんか?

大抵の場合、老人はそれほど美しい存在ではありません。
急いでいる時に、前をのろのろ歩いている老人に苛立ったり、
疲れて電車にやっと座席を見つけた時、
前に老人がやって来たために席を譲ってあげなくてはならなかったり、
何度も同じ話ばかり聞かされたり、
それでいてガツガツ良く食べているのを見てうんざりしたり。

老いることが美しくないと、
自分も老いることがいやになります。
出来るだけ人の世話にならず、
きれいに老いてゆきたいなぁと、思ったりします。

こんなことを考えるのは、
道徳的にみて宜しくないことですし、
わかっているのです。
自分がその時になったら、きっと何もできず、
同じように老いてゆくのだろうと。

老人は、生き生きと生きていなくてはなりません。
生き生きと生きるためには、
暇をもてあましてゴロゴロしていてはいけない。
社会のなかの役割を担っていなくてはいけないのだと思います。

定年のあるサラリーマンが多い世の中になったからでしょうか。
ある一定の歳を超えると、
みんな働くのを止めてしまいます。
核家族化が進んだために、
仕事のない老人は、することもなく、
夫婦で日がなテレビを見たり散歩をしたりして過ごすのでしょうか。

老人ホームや特養に行くと、
そんな老人の集団を前に後ずさりしたくなるほど、
一種の恐怖を感じます。
この世を生きた結末が、これなのか?
そんなのいやだ。
きっと誰もがそう思うのではないでしょうか。

さて、
95歳の女性とお話をしていて、
そんな「老い」を、少し前向きに感じることができました。
彼女はこう言っていました。
「私は花と同じように枯れていってるの。」
「特に病気はないのだけど、人並みに枯れることであちこちが痛くなったり、
 立ち上がるのが遅くなったりするわ。」
「でも、神様は私を生かして下さるために、この痛みを下さったのだと思えば、
 感謝して、有難く痛みを受け入れているのよ。」
「私の毎日は、神様有難うと、神様ごめんなさい、ばっかり。」

私たちには、どうしようもない煩悩があって、
つまらないことばかり毎日考えて生きているし、
ろくなことをしていないと思います。

この女性の心の中まで覗くことはできませんが、
もし、このように「感謝とお詫び」だけを心に留めて生きていられるなら、
私たちの心の中は、どんなに平穏なことでしょう。
そんな心境になるためには、95歳まで生きなくてはならないのか。

ますます、何が良いことなのかわからなくなってきます。

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