人新世における人間の価値

「人新世」(ひとしんせい)、最近良く聞く言葉です。

地質学的に地球の歴史を俯瞰した時、現代は新しい時代に入っており、その特徴は地球温暖化などの気候変動、大量絶滅による生物多様性の喪失、人工物質の増大、化石燃料の燃焼や核実験による堆積物の変化などがあり、基本的に人類の活動が原因になっているとされています。つまり、人間という生物が地球上に増殖したことによって、地球環境が大きく影響を受けている時代ということができます。

学者的にとても淡々と説明されているこの言葉ですが、その意味するところは非常に恐ろしい内容です。

私たち人類は地球上に生まれて、増殖しながら様々なものを発見し、それらを利用して飢えと寒さという根源的な苦しみから逃れ、生活を楽チンにしてきました。

拾ってきた枯れ枝を燃やして暖をとり、動物と戦って勝てばその肉を食べ、木の実を拾って食べていた時代は、人間は生態系のなかの一部分だったのでしょうが、木を切って燃やす知恵をつけ、植物を自分で育てる知恵をつけ、動物と戦うための道具を開発してゆくにしたがって、人間は生態系の上位に位置するようになってゆきました。

人間の欲望にはキリがありませんから、もっとお腹いっぱい食べて、もっと暖かい服を着て、ゆっくりと安心して眠れる場所を確保して、という風にどんどん新しい欲望に向かって人間は努力してきました。先人たちが一生懸命努力してきた結果として、人間は沢山の発見・発明をすることができました。

頑張って努力した結果として生活が楽チンになることは倫理的に悪いことではありません。努力は報われると信じるからこそ私たちは頑張ることができるからです。ただその流れのなかで、いつのまにか人間は生態系の最上位を不動にし、増殖を重ねてきました。そして木を切り、資源を掘り、動物を食べつくすという行動の連鎖を、ただひたすら続けてきたのです。

淡々と説明すれば自然な流れであり、当然の帰結であるような気もします。そしてこの帰結が、今地球温暖化と災害という、私たちの力でコントロールできない規模の問題となって私たちの前に立ちはだかっています。

変化のスピードが年々増しているという実感は、おそらく多くの人々が感じていると思います。私が子供の頃の世の中と現在の世の中は、生活の内容ががらっと変わっています。世界の人口も加速度的に増加しています。私たちが子供の頃に明治生まれの祖父母達から教わってきた「始末」の数々、例えば包装紙は畳んで箪笥の底に敷いたり他のものに利用し、包装紐はくるくると巻いて再利用するといった日常の積み重ねは、今やほとんど消え去り、そのまま捨てて新しいものを買うという習慣に置き換わりました。

贅沢だから月に一度くらいしか食べられなかった刺身や寿司は、今やスーパーでいくらでも売っており、さらに大量に余った食材は9時以降に低価格で販売された後に食品ロスとして廃棄されています。

こんなに贅沢な暮らしを望んでいるわけではないのに、世の中はどんどん贅沢な方向へ勝手に進んでいるように感じます。たまにしか食べられないからこそ感じる喜びや、がまんするからこそ感じられる幸せというものを感じる余地が、生活からどんどん失われています。

私たちは、何も考えずにレールに乗っかっているだけで、いつの間にかこんなに便利で贅沢な世の中に連れてこられ、それを幸せとも思わずに生活してます。

でも、そんな生活のツケがどこかに回らないはずがないと、そんなこと誰でも感じるのではないかと思います。地球温暖化問題はそのもっとも大きな現れでしょう。その他にも、私たちの身の回りには沢山の不均衡が生まれています。貧富の格差は拡大する一方です。

「人新世」という言葉を突きつけられて、私は恐怖を感じています。

もうもとには戻らない、そんな人類破滅のカウントダウンが始まっていると思います。

スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんの大人に対する怒りは、まったくもってその通りです。私たち大人は、自分たちが今生きている時の享楽に溺れて、次の世代のことを考えてきませんでした。未来は今と同じように存在し、個人が努力すれば報われるという信念をのみ次の世代に繋いできたのです。

本当に愚かなことでした。

今、自分の子供たちの世代に対して、私たちは自分たちが享受してきた享楽を、恥ずかしい気持ちをもってしか伝えることはできません。私たちが子供たちの世代に残してゆこうとしているのは、破滅と苦しみの未来だからです。

 

ここが思索のスタート地点になります。

深い慙愧の念をもって、私たちは子供の世代になにを残すことができるのかを考えなくてはなりません。そして考えるだけではなく、ひとりひとりがすぐにでも行動を起こして変化を起こしてゆかなくてはなりません。

私にはまだ自分に何ができるかは見えていません。ただ、何かをする責任があるという気持ちはあります。自分には大切な子供たちの未来がかかっているからです。

自分に残された時間は決して長くはありませんが、5年でも10年でも20年でも、そのことを考えながら生きるというのが、私たちが償わなくてはならない罪であると思うのです。

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